種田山頭火の妻との結婚は?子供は息子?子孫は?父親と母親、実家は?
種田山頭火(たねださんとうか)。
自由律俳句で有名な
種田山頭火。
種田山頭火の俳句は
とても個性があり、
また出家して、放浪をして暮らしたという生き様からも、
種田山頭火についての
エピソードは多く語られています。
種田山頭火は、
そんな暮らしの中で、
12000もの俳句を詠んだそうです。
この記事では
種田山頭火(種田さんとうか)の妻や子供、子孫や家系図。
家族に関する事柄を整理していきます。
種田山頭火の出身地は山口県防府市!実家は?
種田山頭火の出身地についてです。
種田山頭火じゃ
山口県の現在の防府市に生まれています。
1882年ですので、まだ明治時代の前半です。
種田山頭火の生家は、
現在の住所ですと防府市八王子2-13になります。
種田山頭火というと、
貧しいイメージがあるかもしれませんが、
父親が事業で失敗するまでは、
実家はお金持ちだったようで、
父親は自由民権運動にもかかわっていたようです。
種田山頭火の父親と母親
種田山頭火の本名は
種田正一(しょういち)といいました。
種田山頭火の父親の名前は
種田竹治郎。
母親は
種田フサといいました。
種田山頭火の実家は、
大きな農家であり、大地主だったそうです。
種田山頭火の兄弟姉妹
種田山頭火の兄弟姉妹は
5人兄弟でした。
姉は、フク。妹は、シズ。
弟に二郎と、信一がいました。
種田山頭火の兄弟たちは、
母親がなくなったあとは、祖母のツルによって育てられました。
種田山頭火の父親と兄弟たちの不遇
種田山頭火の実家はもともとは
大地主でしたが、
父親が、家庭生活、仕事両面でだらしがなく、
失敗を重ねたために、
種田山頭火の兄弟たちは不遇な境遇で育ちました。
種田山頭火の父親は、
酒造業の経営で失敗をして、その後消息不明となったそうです。
種田山頭火の
姉のフクと、一番下の弟の信一は早世し、
妹のシズと、弟の二郎は、
父親がおこした金銭関係の問題で、
手を焼くことになりました。
種田山頭火の、
厭世的な世界観とも言うべきものは、
こうした家庭的な境遇によって、形作られたものなのかもしれません。
種田山頭火の妻との結婚
種田山頭火の結婚について、見ていきましょう。
種田山頭火は、
父親の紹介で、ある女性を縁談に紹介されました。
この方は
種田山頭火の妻となる女性です。
種田山頭火の妻は、
山口県佐波郡和田村高瀬に住む、
佐藤光之輔の長女で、サキノという名前の方でした。
種田山頭火が
27歳のときのことです。
しかし、
種田山頭火の妻との結婚生活は、
順調なものではありませんでした。
種田山頭火は妻とともに熊本市に住み、古書店や額縁屋を経営していたが…
種田山頭火は
父親が事業で失敗して消息不明となった後、
山口県から離れて、
妻とともに熊本市に移り住んでいます。
熊本市では古書店を経営するものの、うまくいかず、
その後、額縁店を経営しています。
種田山頭火は、
精神的に不調になっていき、
仕事に身が入らず、妻に仕事をまかせていたそうです。
種田山頭火は、
持病の神経衰弱のせいもあったのか、
奇行が多く、
そんな夫に、妻は悩まされていたようです。
種田山頭火は、
家族を残して、上京し、
結局、
種田山頭火と妻とは、離婚しています。
種田山頭火の子供は一人息子!子孫は?
種田山頭火の子供や子孫についてです。
種田山頭火の子供は、
息子が1人いて、
種田健さんという名前でした。
1910年に生まれています。
種田山頭火の息子は
満洲にわたり炭坑で働いていました。
種田山頭火の息子は、
孝行息子であり、
出家して放浪生活をしている
父親の
種田山頭火に毎月相当な額の仕送りをしていたそうです。
種田山頭火にとっては、
息子からの仕送りが貴重な収入源でした。
種田山頭火の子孫については、
種田山頭火には、
子供が1人しかいませんので、その系統しかありません。
というわけで、
種田山頭火(種田さんとうか)の妻や子供、子孫や家系図。
家族に関する事柄を見てきました。