東本願寺・大谷家の家系図と子孫!真宗大谷派・大谷暢裕門首の息子は?

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SichiRi / Pixabay

東本願寺の歴代門主の妻と子供、息子や家系図!真宗大谷派、大谷暢裕門首の息子は?浄土真宗東本願寺派・大谷光見法主の妻と結婚は?

教如上人によって、建てられた東本願寺。

教如上人は、本願寺歴代門主のなかでも、傑出したカリスマ性をほこる人物であり、
すばらしい行動力と、時代を見抜く能力をお持ちでしたが、
あまり注目されることはないですね。

教如上人が建てた東本願寺は、
真宗大谷派の本山として、江戸時代を通じて、末寺1万余といわれる大勢力をまとめあげました。

この記事では、
教如上人の子孫にあたる、東本願寺、真宗大谷派の歴代門主(門首)、
大谷家の近代・現代の家系図と家族に関する事柄を整理していきます。

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東本願寺23世法主、大谷光演の家系図

では、
明治時代からの東本願寺門主の家系図
子孫を見ていいきましょう。

はじめに
東本願寺・大谷家の23世法主、
大谷光演の家系図で、妻や子供、家族構成を見ていきます。

大谷光演(彰如) 1875-1935
東本願寺22世法主、真宗大谷派管長の大谷光瑩の二男
1908年に、東本願寺23世法主、真宗大谷派管長となる
1925年に、教団の財政問題の責任を問われ、引退する

妻:大谷章子
公爵三条実美の三女

長男:大谷光暢 ※第24世門首

娘:大谷政子

娘:大谷素子
アメリカ、ナシヨナルカスイドルスクール出身
大阪、森平蔵の息子、森重雄と結婚

娘:大谷忠子
女子学習院出身
東京、小田久太郎の次男、小田隆二と結婚

息子:大谷暢慶 ※現在の門首・大谷暢裕の父親
ブラジル開教使

※家系図は敬称略

大谷光演の妻は三条実美の娘

大谷光演が、東本願寺の23世法主であり、
真宗大谷派管長です。法名は彰如。

大谷光演は、先代法主の大谷光瑩(おおたにこうえい)が、財政状態が思わしくなかったことにより、
引退して、法主になりました。

妻は、
三条実美の娘でした。

しかし
大谷光演も、父親の大谷光瑩と同じく、東本願寺教団の財政問題の責任をとって、引退しております。

東本願寺24世法主、大谷光暢とお東騒動

大谷光演の息子が、大谷光暢です。
大谷光暢は、
東本願寺24世門首、真宗大谷派管長です。

東本願寺のトップは、
教団経営をめぐる諸問題によって、
法主から門首へと、職名が変わっています。

大谷光暢が管長を務めていた
1969年に、いわゆる「お東騒動」がおこり、
真宗大谷派教団から分離する寺院が多くでました。

東本願寺24世法主、大谷光暢の家系図

では、
大谷光暢の家系図で、妻や子供について見ていきます。

大谷光暢(闡如) 1903-1993
大谷光演の長男
大谷大学中退
東本願寺24世門首、真宗大谷派管長、全日本仏教会会長

妻:大谷智子
1906-1989
久邇宮邦彦王の三女
京都府立一女卒

長男:大谷光紹 ※第25世門主
1925
京大文学部卒
浄土真宗東本願寺派を設立

長女:大谷美都子
1928
名古屋音楽大学教授、大賀寛と結婚

次男:大谷暢順(経如)
1929
東大文学部卒
浄土真宗大谷本願寺派法主、本願寺文化興隆財団理事長

三男:大谷暢顕(浄如)
1930
京大農学部聴講生
真宗大谷派25世門首を継承

次女:大谷須美子
1936
光華女子短大卒
オーミケンシ社長、夏川浩と結婚

四男:大谷暢道(秀如、のちに大谷光道に改名)
1945
阪大基礎工学部卒
真宗東派(嵯峨本願寺)を設立

※ 家系図は敬称略

東本願寺大谷家と皇室の家系図は、極めて近い親戚同士

大谷光暢の妻の、大谷智子は、
旧皇族の久邇宮邦彦王の三女です。

大谷智子の姉が、昭和天皇皇后の香淳皇后です。

香淳皇后(昭和天皇皇后)の家系図や両親は?父親や母親、兄弟と実家?

大谷光暢と昭和天皇は、
妻が姉妹同士という関係になり、
東本願寺大谷家と皇室は、極めて近い親族関係にあるのです。

なお、西本願寺門主の大谷家も皇室の極めて近い親戚であり、
大正天皇皇后の貞明皇后のご実家、
九條家の親戚(昭和時代のご門主・大谷光照さまは、昭和天皇のいとこ)ですので、

東本願寺と西本願寺の両大谷家は、皇室を通じても近い親戚関係にあるのです。

東本願寺・真宗大谷派から分離し、三つの宗派が設立へ

東本願寺法主、大谷家の子孫の家系図を、
続けてみていきましょう。

大谷光暢さんが法主の代に、
「お東騒動」がおこり、結果として、
東本願寺は4つの教団にわかれてしまいました。

大谷光暢さんの長男は、浄土真宗東本願寺派を設立。
大谷光暢さんの次男は、浄土真宗大谷本願寺派を立て設立。
大谷光暢さんの三男が、真宗大谷派を継承。
大谷光暢さんの四男が、真宗東派(嵯峨本願寺)を設立。

東本願寺25世門首、大谷暢顕の子供はいないので、いとこが門首を継承

真宗大谷派の門首は、
大谷光暢の三男、大谷暢顕さんが継いでいます。

大谷暢顕さんは、
大谷高校卒業後、京都大学で聴講生をしていました。
真宗大谷派を継ぎ25世門首となりました。

大谷暢顕さんは子供がいないため、
高齢になり、真宗大谷派25世門首を、
いとこにあたる、
大谷暢裕さんを後継の門首にしています。

東本願寺真宗大谷派門主、大谷暢裕はブラジル生まれの異色の門主様

大谷暢裕さんが
現在の東本願寺住職、真宗大谷派26世門首です。

大谷暢裕さんは
南米開教師だった大谷暢慶さんの息子です。

大谷暢裕さんの父親、大谷暢慶さんは、
真宗大谷派24世門首、大谷光暢の弟にあたります。

大谷暢裕さんは
ブラジル生まれでブラジル国籍を有し
サンパウロ大学物理学博士号を取得しています。

大谷暢裕さんは、
日常生活ではポルトガル語を使用しており、
日本語と英語もできるといいます。

東本願寺の歴代門主のなかでは、
異色の経歴を持つ門主様ですね。

大谷暢裕門首の息子、大谷裕新門は東大大学院修了の数理科学者

大谷暢裕さんの息子には
大谷裕さんがいます。

大谷裕さんが次期門首(新門)です。
大谷裕さんの経歴や学歴は
1985年ブラジル生まれ。

サンパウロ大学分子学科卒。東京大学大学院数理科学研究科博士課程修了の数理科学の研究者です。

浄土真宗東本願寺派法主、大谷光紹の家系図

それから、
真宗大谷派から、浄土真宗東本願寺派を設立した、
大谷光紹さんの家系図で、
妻や子供たちを見ていきましょう。

大谷光紹(興如) 1925-1999
京大史学科卒
浄土真宗東本願寺派を設立し法主に就任

妻:大谷貴代子さん
1940
真宗誠照寺派法主、二条秀淳の長女
京都女子大卒

息子:大谷光見さん
1965
早稲田大学理工学部物理卒、ニューヨーク大学大学院哲学科宗教学専攻修了
浄土真宗東本願寺派26世法主

同妻:大谷ひでかさん
【韓国、金英蘭さん(近藤ひでか)】

娘:大谷暁子さん
1968

浄土真宗東本願寺派の法主は、
大谷光紹さんの長男の大谷光見さんが継いでおり、
大谷光見さんの妻の名前は、大谷ひでかさんといいます。

というわけで、
東本願寺大谷家の家系図や、歴代門主とその子孫についての事柄を整理しました。

西本願寺・大谷家の家系図と子孫!大谷光淳門主の妻や子供?皇族と親戚!

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