大隈重信の家系図!子孫は早稲田大学経営?妻は?子供は娘?息子?

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大隈重信の子供は娘?息子?妻や家族構成は?子孫は早稲田大学の経営者一族?

大隈重信(おおくましげのぶ)は、
明治大正時代に活躍した政治家であり、
総理大臣をつとめていますが、

なんといっても
早稲田大学の創立者として有名ですね。

大隈重信は
早稲田大学のライバル校である
慶應義塾大学の創立者・福沢諭吉にくらべると、
あまり注目されることは少ないですが、

とても、
スケールの大きい人物であり、
その人柄の魅力は、
興趣のつきないものであります。

この記事では
大隈重信の子孫や家系図について、
「妻との結婚は?子供は娘?息子?子孫は早稲田大学の経営者だが、慶應義塾大学出身?」
といったことをお送りしていきたいと思います。

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大隈重信の家系図は?先祖は佐賀藩士の家系で名門!

大隈重信の家系図について、
はじめに
大隈重信の先祖の家系から
見ていきましょう。

大隈重信は、
肥前の佐賀藩士の家系であり、
佐賀藩士のなかでも
由緒ある家系であり、
上級武士に属していました。

大隈重信の家系は、
300石取りの武士でした。

一般的に100石取り以上は、
「上級武士」に分類されるので、
大隈重信は、
佐賀藩士として、もともと家柄が良かった、
といえますね。

大隈重信の妻は?家族構成は?

それでは
大隈重信の、
家族構成を見ていきます。

大隈重信の
妻は、どんな人なのでしょうか。

大隈重信は、
2回結婚しています。

大隈重信のはじめの妻の名前は、
美登さんといいます。

大隈重信の後妻の名前は?小栗上野介と親戚!

そして
大隈重信は、
後妻もむかえたわけですが、
大隈重信の後妻は、
どんな方でしょうか。

大隈重信の後妻の名前は、
綾子さんといいます。

大隈重信の後妻の綾子さんは、
旗本の三枝七四郎の娘であり、
幕末に活躍した旗本、小栗上野介忠順の親戚にあたります。

大隈重信の子供は何人?

では、
大隈重信に
子供は何人いたのかを、
見ていきましょう。

大隈重信の子供は
2人いたといわれています。

大隈重信は、
前妻とのあいだに、
娘が1人いました。

名前は、
大隈熊子さんといいます。

それから
大隈重信には
ほかに婚外子がいたという話が、
『エピソード大隈重信』という
早稲田大学刊行の本に紹介されているようです。

大隈重信の家系図!

大隈重信の
家族構成の家系図をしめすと、
このようになります。

大隈重信(1838-1922)
佐賀藩士・大隈信保の長男
第9代内閣総理大臣
早稲田大学創立者

前妻:美登

長女:熊子
文久3年
旧盛岡藩主家の南部秀麿と結婚

後妻:綾子
嘉永3、東京士族・三枝七四郎の娘、三枝守富妹

養子:知恵
明治15年、三枝守富二女
男爵真木平一郎と結婚

大隈重信の子供は、
さきほど2人いたと書きました。

しかし
大隈重信の戸籍上は、
婚外子は子供として入籍されていないようで、

大隈重信の実子として戸籍に名前があるのは、
前妻とのあいだの娘である
大隈熊子さんのみです。

大隈重信の娘、大隈熊子は婿養子をとった

大隈重信の娘である、
大隈熊子さんは
旧盛岡藩主の南部家から、
婿養子をむかえていますが、

大隈重信の養子となった、
大隈英麿さん(旧姓南部)は、
初代東京専門学校校長として
早稲田大学の経営にかかわり

また、
衆議院議員もつとめていたのですが、
経済的な問題をかかえてしまい、
のちに、
大隈家と離縁しています。

そして、
大隈重信の長女である、
大隈英磨の妻、大隈熊子も、
大隈家の継承権をうしなったそうです。

大隈重信の、もう一人の子供

では、
その後、
大隈重信の子孫の家系図は、
どのように継承されていったかを
見ていきましょう。

大隈重信の子孫は、
婚外子の系統で存続されました。

さきほど述べた通り、
大隈重信には
光子という名前の
婚外子がいたのですが

大隈重信の婚外子は、
大隈重信の
妻の実家である三枝家の戸籍に入っておりました。

その子供を、
大隈重信は養子として、
大隈家に入籍させているのでした。

そして
大隈重信の養子である、
大隈光子(旧姓:三枝)は、
夫として大隈信常(旧姓・松浦)を迎えています。

大隈重信の養子、大隈信常の家系図!

では、
大隈重信の養子、
大隈信常を中心とする家系図を見ていきます。

大隈信常 (1871-1947)
伯爵松浦厚弟、大隈重信養子
東大政治科、ケンブリッジ大学留学
貴族院議員
早稲田大学名誉総長

妻:光子
明治17、三枝守富三女
※戸籍上は三枝守富三女だが、実は大隈重信の婚外子という説が紹介されている

長女:豊子
明治37
女子学習院卒
伯爵廣澤真吾にと結婚

長男:信幸

大隈重信のあとをついで、
侯爵となったのは
大隈信常です。

大隈信常は、
平戸藩主の松浦家出身の方で、

大隈重信の婚外子である、
大隈光子と結婚して、
大隈家当主となりました。

大隈重信の子孫の戦後は?

そして
大隈重信の子孫の家系図
さらに時代を下っていきます。

大隈信幸(1910―2004)
明治43、大隈信常長男
東大経済卒
貴族院議員、参議院議員、
駐コロンビア、ガーナ各大使
早稲田高校理事長

妻:馨子
大正5、衆議院議員の久原房之助養子
雙葉高女卒

長女:和子
昭和15
吉田豪利さんと結婚

二女:治子
昭和18
ペルー人外交官・マキ・アペロと結婚

三女:明子
昭和20
パトリック・ルモアンヌと結婚

養子:里砂
昭和42、長女・吉田和子女
慶應大学卒

大隈重信の子孫、
大隈家の戦後の当主は、
大隈信幸さんです。

貴族院議員・参議院議員をつとめました。
そのかたわらで、
早稲田高校の理事長もつとめていましたので、
大隈家は、
戦後になっても
権勢を誇っていた家系と言えますでしょうか。

大隈信幸さんは、
大隈重信の孫にあたります。

大隈重信の曾孫は、慶應義塾大学!?

そして面白いのが、
大隈信幸さんの孫にあたる、
大隈里砂さんの出身大学が、
慶應義塾大学であることです。

早稲田大学と慶應義塾大学は
ライバル校ですが、
早稲田大学の創立者である
大隈重信の曾孫が、
慶應義塾大学というのは
なんとも面白いですね。

それでは
大隈重信の子孫や家系図について、
「妻との結婚は?子供は娘?息子?子孫は早稲田大学の経営者だが、慶應義塾大学出身?」
といったことをお送りしました。

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