桂太郎の家系図は?妻と子供は何人で父親や先祖は?子孫の現在は?
桂太郎は、
長期間に渡って政権を維持したことで
知られています。
桂太郎と西園寺公望が
実権をにぎった時代を
「桂園時代」という呼び方をしますね。
桂太郎は、
頭が大きく、
脳が大きかったことでも、有名です。
脳容量と知能は
比例するのかといったことについては、
議論の余地があるのですが、
優秀な政治家だった
桂太郎は、
頭が大きく、かつ知能が高かったようです。
今回は
桂太郎の家族や家系図、
子孫に関する事柄について、お送りします。
桂太郎と桂小五郎(木戸孝允)は親戚?
桂太郎の家系について、
よく言われるのは、
桂太郎と桂小五郎(のちの木戸孝允)は親戚関係なのか?
ということです。
桂太郎と桂小五郎、
ともに山口県出身の政治家であり、
名前もよく似てるので、
たしかに親戚関係ではないか、
といったことを連想させますね。
結論から言うと、
桂太郎と桂小五郎は、近い親戚ではありません。
桂太郎と桂小五郎(木戸孝允)は、かなり遠い親戚だった
しかし、
桂太郎と桂小五郎は、
無関係なのかというと、そうではなくて、
遠い先祖を同じくしており、
そういう意味では遠い親戚関係ということができます。
桂太郎と桂小五郎の先祖は、
毛利氏の重臣でした。
大江広元までさかのぼるといいます。
桂太郎の家系図は?父親は長州藩の上級武士
では
桂太郎の家系図について、
見ていきたいと思います。
桂太郎の父親は、
どのような人物かといったことから、
はじめに見ていきます。
桂太郎の父親は、
長州藩士の桂与一右衛門という人物です。
桂太郎の父親は、
125石取りの武士であり、
馬廻役をつとめていました。
伊藤博文や山縣有朋は、
同じ長州藩士といっても、
下級藩士の家系の出身ですが、
桂太郎は、
由緒ある長州藩士の家系でした。
桂太郎の妻は何人?結婚歴は?
では
桂太郎の子孫の家系図について、
見ていきたいと思います。
桂太郎は3回結婚しているので、
先妻後妻あわせると、
合計3人の妻がいました。
桂太郎 1848-1913
長州藩士・桂与一右衛門長男
陸軍大将
陸軍大臣、内閣総理大臣妻:歌子
野田家女妻:貞子
宍道家女妻:可那
明治8、東京、村上吉蔵離縁養嗣子・村上浜次郎長女、侯爵井上馨養女
桂太郎の最初の妻と二番目の妻は、
早くなくなってしまったので、
3回結婚したのでした。
桂太郎の3番目の妻は、
昭和15年まで存命でした。
桂太郎の子供は何人?
桂太郎の子供は何人か見ていきます。
桂太郎は3人の妻とのあいだに、
それぞれ子供がいました。
また、桂太郎には1人婚外子がいて、
桂太郎は
合計10人の子供を持ちました。
桂太郎の子供について見ていくと、
桂太郎の家系図の広がりが分かります。
桂太郎の子孫の家系図は、
公爵家ということもあって、
名家の子孫の方同士で結婚しているケースが多いようです。
桂太郎の最初の妻との子供は何人?
桂太郎の一番目の妻、歌子とのあいだの子供は
3人います。
桂太郎の初めの妻、歌子との間には、
2人の娘と1人の息子がいます。
男:与一
明治15年生まれ
藤田組理事女:蝶子
明治13年生まれ
国光侃と結婚
遠藤美之養女となり長雄勝馬と結婚女:繁子
明治16年生まれ
山口県士族:尾守藤三と結婚、産業復興公団総裁:長崎英造と結婚
桂太郎の後継者となったのは、
桂太郎の長男であり
桂与一の家系の子孫でした。
桂太郎の2番目の妻との子供は何人?
桂太郎の2番目の妻、貞子とのあいだの子供は
2人いました。
1人の息子と、1人の娘です。
男:三郎
明治20年生まれ
侯爵・井上勝之助養子となる女:きよこ
明治21年生まれ
内閣総理大臣秘書官・長島隆二と結婚
桂太郎の息子の三郎は、
山口県出身の政治家で、
元老として政界に大きな影響力を持った、
井上馨の養子、井上勝之助の養子になっています。
そして
桂太郎の婚外子である娘、輝子さんは、
中村ウラ子さんとのあいだに生まれた娘でした。
女:輝子
明治24年生まれ
賞勲局総裁・天岡直嘉と結婚
桂太郎の3番目の妻との子供は何人?
桂太郎の3番目の妻とのあいだの子供は、
息子が3人(1人は早世)、娘が1人です。
男:四郎
男:五郎
明治28年生まれ女:寿満子
明治30年生まれ
男爵伊藤文吉と結婚男:新七
明治32年生まれ
経済学士
野村生命保険勤務
同妻:複子
明治38年、東京、石部泰造の養子
桂太郎の娘、
寿満子の夫である伊藤文吉は、
伊藤博文の息子です。
桂太郎と伊藤博文は、
家系図を見ると近い親戚同士なのですね。
桂太郎の息子の家族と家系図は?
桂太郎の家系は、
さきほど触れたように
桂太郎の長男、桂与一の子孫が当主を継いでいます。
桂太郎の長男の子孫の家系図を、
見ていきましょう。
桂与一
明治15年、桂太郎長男
藤田組理事妻:てい
明治20年、男爵新田忠純二女男:広太郎
明治41年男:寿雄
明治42年
東京農大出身
同妻・美枝子
大正7年、子爵野村益三三女女:友子
明治43年
成蹊高女研究科出身
進緯介と結婚
桂太郎の息子、桂与一は、
新田義貞の子孫である新田男爵家の娘を、
妻にむかえています。
桂太郎の後継者であった
桂与一でしたが、
桂太郎よりも先になくなってしまったので、
桂太郎の後継ぎとなったのは、
桂太郎の孫にあたる、
桂広太郎でした。
桂太郎の子孫の家系図と現在
桂太郎の嫡流子孫の系統を継いだ、
桂広太郎の家系図を見ていきます。
桂広太郎 正四位侯爵
明治41年、桂与一長男
東大薬学科卒
薬学博士
貴族院議員
商工省嘱託、桂化学会長妻:富美子さん
大正7、男爵白根松介長女
女子学習院出身長女:茂都子さん
昭和14長男:繁太郎さん
昭和16
同妻・美智子さん
昭和17、楠正治さん二女二男・栄次郎さん
昭和19
同妻・英代さん
昭和20、林喬二さん二女
桂太郎の孫、
桂広太郎さんの妻は、
長州藩出身の男爵家である白根家の子孫の方です。
桂太郎の子孫の家系図は、
このように現在まで連綿と受けつがれています。