仏光寺六坊(大善院・光薗院・長性院・久遠院・教音院・昌蔵院)の研究

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DerWeg / Pixabay

京都仏光寺六坊の本山との関係における特殊な関係

京都市下京区の仏光寺は、江戸時代には門跡寺院です。
門主の渋谷家は明治時代には華族に叙せられ、
戦前から戦後にかけての門主、
渋谷隆教氏は、貞明皇后の妹さんにあたる九條蓬子さんと結婚しており、皇室と極めて近い親族関係を持つ由緒ある寺院です。

仏光寺を支えたのが、山内寺院である六坊でした。
六坊とはすなわち、
大善院(南坊)、光薗院(新坊)、長性院(西坊)、久遠院(中坊)、教音院(奥坊)、昌蔵院(角坊)の六つの寺院です。

六坊は仏光寺の執務を司り、
それぞれが多数の末寺をかかえていました。

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仏光寺六坊は公家と縁戚関係をもつ

六坊は、それぞれが多様な縁戚関係を持っていました。
長性院は、仏光寺門主の弟が開山した寺院であり、
仏光寺23世隋応の娘は、久遠院、大善院、光薗院に嫁いでいます。
六坊は公家との交流もありました。

六坊の住職は、公卿の猶子になるしきたりがあり、
大善院は樋口家、光薗院は菊亭家、長性院は梅小路家、久遠院は石山家、教音院は大炊御門家、昌蔵院は豊岡家の猶子になっていました。

六坊の寺院は公卿の家から養子をむかえたり、嫁をむかえることもあったので、とても華麗な閨閥をもっていました。

仏光寺六坊を構成する左座と右座

また六坊は、左座を構成する大善院、長性院、光薗院と、
右座を構成する久遠院、教音院、昌蔵院のふたつにわけられます。

左座の三坊の内部にも密接な親族関係があり、そして右座の三坊の内部にも同じく密接な親族関係がありました。

そうしたこともあって、六坊の結束力は強かったようで、門主である渋谷家に匹敵するほどの力を持っていました。

仏光寺六坊の寺格は連枝寺院よりも格上

渋谷家からは連枝を出しており、東京の西得寺という寺の住職をつとめることになったのですが、
六坊は連枝よりも上位に位置していたといいます。

ほかの寺院であれば、門主の近い親族である連枝寺院は、本山の次に寺格が高いものですが、仏光寺の場合は違ったのです。

六坊は必ずしも仏光寺の下寺といった関係ではなく、協力関係にありながら与力としての機能を持っていたようです。

仏光寺の六坊と、本山仏光寺の関係は、きわめて特異なものであると言えます。

森岡清美氏の論文を読んで、仏光寺と六坊の特異な関係が浮き彫りになりました。

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