中山秀征の実家のファミリーヒストリー、群馬県藤岡市の母親と家族

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henryleester / Pixabay

中山秀征のファミリーヒストリーと、地元・群馬県藤岡市

今回のファミリーヒストリーは、
中山秀征さんです。

中山秀征さんは、ぐんま大使として世界遺産のPRに励んでいるようです。

こちらの記事では、
家系図作成の専門的知識をいかし、
中山秀征さんのファミリーヒストリーでおこなわれた調査方法を分析し、感想をまとめました。

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中山秀征の地元・群馬県藤岡市と養蚕業

群馬県で、明治時代に興された産業と言えば、養蚕(ようさん)が有名です。
とはいうものの、養蚕といっても、現代人にはピンとこないかもしれませんね。

養蚕とは、蚕(かいこ)を育てて、糸を集めるのです。
糸が、衣類になるわけですから、衣類が現代よりもずっと高額だった明治時代には、花形の産業でした。

群馬県では、政府の主導で立てられた、富岡製糸場がありますね。

中山秀征さんの本家は、群馬県藤岡市ですが、
どうやら、中山秀征さんの先祖とも、富岡製糸場は関係しているようです。

ファミリーヒストリーの番組取材班は、群馬県藤岡市を訪ねました。

中山秀征の父親の実家

こちらには、中山秀征さんの父親の実家があります。
中山秀征さんの出身地も群馬県藤岡市ですが、ご本人は、父親が本家を出たので、この家で育ったわけではないようです。

番組では、中山秀征さんの本家が映っていました。
立派な門構えの和風建築の屋敷です。
なんと、母屋は、250年前に建てられたものだといいます。
瓦屋根の二階建てで、とても大きな屋敷です。

こうした母屋を見るだけで、
中山秀征さんの先祖が、どれだけの身分で、経済的地位をほこっていたのかが、うかがえると思います。

イギリスなどでは、古い建物は珍しくないですが、
日本の民家で、これだけ古い家が残っているのは珍しいですね。

中山秀征の父親の実家の高祖父とは?

さて、
中山秀征さんの先祖のファミリーヒストリーを追っていきましょう。
中山秀征さんの父親の実家を、訪ねた番組取材班は、古い資料のなかから、中山秀征さんの先祖を探っていきます。

中山秀征さんの高祖父のことを、まず調べていました。
高祖父は、中山彌平といって、幕末の嘉永2年生まれの人物です。
この頃、中山秀征の父親の実家では、屋根裏で蚕を飼っていたといいます。
やはり、養蚕業を営んでいたのですね。

中山秀征の高祖父の名前が、村絵図に

番組では、村絵図の調査をしています。
村絵図とは、古い村の地図のことです。
村絵図の調査については、以下の記事をご覧ください。

村絵図の調査

こちらの村絵図には、土地の所有者の名前が記載されており、そのなかに中山秀征さんの高祖父である中山彌平の名前もありました。

地図を見ると、中山彌平は、現在の中山秀征の本家がある土地だけではなく、周辺地域にいくつもの土地を保有していることが分かります。

資産家だったのでしょう。
また、中山彌平は副戸長だったそうです。

戸長・副戸長というのは、明治時代の村の要職です。
有力農家のなかから、こうした役職の人は選ばれました。
前回のファミリーヒストリーの、斉藤由貴さんの先祖も戸長でしたね。
高祖父が副戸長だったという事実は、中山秀征さんの先祖が、有力農民の家系だったということを示していると思います。

参照記事
斉藤由貴の実家とファミリーヒストリー、横浜市南区の家族の歴史

中山秀征の先祖の墓地調査

番組では、地元の史料館の方に、墓地調査をしてもらっています。
中山家の先祖の墓は、とても広く、古い石がいくつも残っていました。

史料館の方によれば、
「五輪塔の形を残しているものが一番古く、これは戦国時代のものと思われる」ということでした。
戦国時代、中山秀征さんの本家がある、群馬県藤岡市のあたりは、武田氏・上杉氏・北条氏という戦国大名が、支配をもとめて争った土地です。

中山秀征さんの先祖も、いずれかの戦国大名に仕えていたのでしょう。
戦国時代の墓があるとなると、先祖は武士だったのでしょうね。
番組では、これ以上の調査はしていませんでしたが、興味の尽きないところだと思います。

中山秀征の高祖父と義太夫

中山秀征さんの高祖父のファミリーヒストリーを、もう少し見ていきましょう。

実は、中山秀征さんの高祖父は多くの土地を持っていたものの、借財も多かったことが、古文書の記録から明らかになりました。

この理由について、番組では調べています。

中山秀征さんの大伯父にあたる方の記憶によれば、高祖父・中山彌平は、義太夫をやっていて、たびたび東京まで遊びに行っていたとのことです。
そのために、中山家は没落してしまったのですが、中山秀征さんに受け継がれた芸能の血は、時を越えて、花開くことになるのです。

中山秀征の母親の先祖・金井家

芸能の気質というのは、実は中山秀征さんの母親の先祖の家系にも、垣間見られるもののようです。

中山秀征さんの先祖を女系に辿ると、高祖母に、旧姓:金井もとという女性がいました。
高祖母というと、中山秀征さんの、母親の母親の母親の母親にあたる人物です。

金井もとの実家は、群馬県沼田市にありました。
番組では、金井家の子孫の方への取材を試みています。

中山秀征と、人形劇「あけぼの座」

金井家は、現在では人形劇を家業としてやっています。
「あけぼの座」という劇団の座長を先祖代々務めているようです。
あけぼの座は、幕末の頃から人形芝居を行っています。
芝居でつかわれる人形も、先祖より受け継がれたものだそうで、毎月の公演に使われています。
地元では熱心なファンも多く、重要民俗文化財に指定されているほどです。

中山秀征さんの母親のほうの先祖をたどると、こうした人形劇にかかわる人物がいたことになります。

中山秀征の母親のファミリーヒストリー

中山秀征さんの母親・中山美江のファミリーヒストリーへと、主題は移っていきます。
中山秀征の母親は、専売局に勤める父親と、小学校教員を務める母親とのあいだに生まれました。

父親は、出征で鉄道整備にあたりましたが、復員後すぐになくなってしまったそうです。

中山秀征さんの母親・美江は、こうした家庭で育ちました。

美江は、手に職をつけるために、和裁の専門学校へ進みました。
ある日、美江が母親とともに買い物に出かけたときに、子どもとバイクが衝突しかける現場に出くわしました。
その時のバイクの運転手がのちの夫、つまり中山秀征さんの父親となる人物です。

中山秀征さんは、「父親と母親の出会いを初めて知った」とコメントしていました。

中山秀征の父親のファミリーヒストリー

その後、ファミリーヒストリーでは、中山秀征さんの父親についても触れています。

中山秀征さんの父親・中山教男は、
前述の養蚕業を営む中山家に生まれたわけですが、昭和29年に地元の高校を卒業したあと、仕事を求めて上京しました。

知り合いの紹介があって、神田の洋服問屋につとめますが、営業の仕事をしたものの、うまくいかなかったといいます。

そうしたこともあって、中山秀征さんの父親・中山教男は、洋服の仕立ての修業を始めたのでした。

その後、故郷に帰り、群馬県藤岡市で独立したのです。結婚もして、実家から出て、藤岡市内に新居を構えました。
そして、中山縫製という工場をおこしました。

中山秀征の藤岡市の実家と工場について

中山秀征の父親が立てた工場は、高度経済成長期で洋服の仕立て事業が好調なために、従業員を雇うまでになっていきます。

そして、中山家に二男として生まれたのが中山秀征さんです。
その頃、妻である美江さんの母・さとさん、祖母・きちさんとも暮らすようになったのです。

こうしたこともあるので、中山秀征さんの家系は、苗字こそ父親の中山を名乗っていますが、女系の影響が強いのかもしれませんね。

中山秀征は妻や子供を連れて、実家の母親を

その後、15歳で上京して、芸能界に入った中山秀征さんの活躍は、みなさんご存知のとおりです。

中山秀征さんは30歳で結婚し、4人の息子に恵まれました。
藤岡市の実家にもよく家族全員で訪れていました。
母親・中山美江は、それを楽しみにしていました。自分のなかに流れる、人形劇に打ち込んだ先祖の姿を、息子に見出していたのかもしれませんね。

ちなみに、現在の中山秀征さんの妻や息子さんたちについては、以下の記事に詳しく書かれているので、参照されてください。

参照記事
中山秀征の自宅の場所はどこ?子供は青山学院で野球?投手?

中山秀征のファミリーヒストリーの感想

今回の、中山秀征さんのファミリーヒストリーの感想ですが、
中山家の調査は、古い資料がたくさん残っていたということもあり、番組としては作りやすかったと思いました。
しかし、取材班は調査をゆるめることはなく、新聞記事などを調べ上げて、高祖父の事績を明かしていたのが、とても印象に残りました。

これだけの内容を、わずかの放送時間に詰め込むのは、難しいのではないかというほど、調査されたのだと思います。

なかなか、充実した内容でした。
次回のファミリーヒストリーの放送は、
2016年12月1日(木曜日)の市村正親さんとのことです。
またの放送を楽しみにしたいと思います。

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