江戸時代の神主という身分

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cegoh / Pixabay

江戸時代の神職という職業について

江戸時代の神主は特権的な身分でした。
僧侶と並んで、村を代表するインテリ階層でありました。
武士や公家と同様に、苗字の公称を認められていたことからも、特権的地位であったことがうかがえます。
現在でも日本には、数多くの神社があり、その数は約80000社とも言われています。

しかし、江戸時代には、もっとたくさんの神社があったのです。
明治時代の宗教政策の影響で、多くの神社が統合されてしまい、多くの神社が損なわれてしまった歴史があるのです。

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どんな集落にも、神社がある

江戸時代、一つの村に一つは、神社がありました。
小規模な集落であっても、必ず神社が作られているのです。
もちろん、神社がある以上は、そこに神主もいます。

しかしながら、神主という身分は兼職する人がとても多かったのです。
神主という身分だけで、生活できる人は、それほどいませんでした。

神主だけでは、生活できない

現在でも、「神主」という職業だけによって、生計を立てていくことは容易なことではありません。
多くの神主は、大抵、学校の教員のような別の仕事によって、生活収入を得ています。

そのあたりのことは、以前、お笑いタレントの狩野英孝さんの『ファミリーヒストリー』でも触れていますので、そちらの記事も参照されてください。
狩野英孝さんの神社と、ファミリーヒストリー

江戸時代の神主も、それと似たような状況でした。
同じ宗教家である僧侶は、それなりに収入があり身分が保証されていたのですが、神主となると生計を立てていくのが難しかったのです。
神主は、普段は「農民」身分であって、神事のときだけ「神主」という身分になるというケースが多く見られました。

農民が、神主となる

普段は「農民」なわけですから、苗字の公称は認められませんし、農業をしているのです。
しかし、神事にかかわるときだけ、「神主」身分となり、神主としての名前を名乗ったといいます。
主に庄屋・名主といった有力農民がこうしたことを受け持つことが多かったようです。

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