狩野英孝さんのファミリーヒストリー
2016年4月28日のNHK総合テレビ『ファミリーヒストリー』は、お笑いタレントの狩野英孝さんでした。
狩野さんが神主の家系に生まれたことは、これまでにもよく知られていましたが、一体どのようなことが明らかになったのでしょうか?
家系図作成サイトとしての専門的な観点から、感想を述べてみます。
狩野英孝さんの実家は神社
狩野英孝さんの実家は、宮城県栗原市にある桜田山神社です。
創建1500年の歴史があるという由緒ある神社です。
番組では江戸時代中期の1772年に書かれた書物『封内風土記』に、神社の由緒が書かれているのを紹介しています。
それによれば、「鹿野掃部之祐」という人物によって創建されたといいます。
この「鹿野(かの)」が「狩野(かの)」に変わっていったのでしょう。
狩野英孝さんの高祖父・狩野英記さん
番組では、英孝さんの高祖父の代からのファミリーヒストリーに焦点があてられていました。
狩野英孝さんの高祖父・狩野英記(かの・えいき)さんは、明治時代に桜田山神社の神主だった方です。
英記さんは、明治18年(1885年)に、本殿が焼失するという事態に見舞われてしまったそうです。
この時に、先祖伝来のものも焼失してしまったのでしょうか。とても残念ですね。
その後、曽祖父・狩野英之進(かの・えいのしん)さんが、大正14年(1925年)に本殿を再建しますが、その後すぐに早世されてしまったそうです。
大黒柱を失った狩野家は、農業をして生計を立てたそうです。
神主の家が農業をするというのは違和感がありますが、貧しい神社では、このようなことは当たり前でした。
狩野家も苦労されたのでしょうね。
狩野英孝さんの祖父・狩野英市さん
狩野英孝さんの祖父・狩野英市さんは、役場に勤務しながら、神主の仕事をしました。
このように公務員や教員などと兼業される神主は一般的です。
神主だけの収入で生活していける神社は、ごく一部の神社だけです。
また、狩野英市さんは、近隣の神主不在の神社の神主も兼任していました。
このような「神主不在の神社」というのは、日本中にたくさんあります。
全国にいる神主の数よりも、神社の数のほうが多いといいますから、一人でたくさんの神社の神主を兼任する方は多いのです。
そして現代の狩野家へ
役場の勤務と神社の仕事を兼務するのが大変なので、狩野英孝さんの祖父・英市さんは、子どもには神職を継がせる気はなかったようです。
しかし、狩野英孝さんの父・狩野勉さんが神社を継ぐと言い出したので、とても喜んだといいます。
そして、現在では、狩野勉さんの後を継いだ、狩野英孝さんと弟さんが神職を継がれました。
神主の家系なのに音読みなのは珍しい
番組を見ていて、違和感があったのは、狩野家の方のお名前です。
神社の家系であれば、「訓読み」のお名前になるのですが、狩野家は「音読み」のようですね。
これは珍しいと思います。
今回のファミリーヒストリーは
今回のファミリーヒストリーは、関係者への聞き取り調査が中心でしたね。
神主の家系ですので、調べればかなりのものが出てくると期待していたので、残念です。
おそらく本殿焼失によって、古い資料のすべてが焼失してしまったのでしょうね。
さて、今回のファミリーヒストリーも感動的な内容でした。次回のファミリーヒストリーも楽しみにしたいと思います。
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