明治時代から昭和戦前時代の結婚・婚姻
「現代人は晩婚で、離婚率が高い。それにひきかえ、昔の人は早婚で、離婚する人は珍しかった。」なんて言うと、もっともらしく聞こえてしまいます。
このような現代批判・若者批判というべきものは、実際に調べてみると、結構疑わしいものもあります。
まず、「昔の人は早婚だった、15才くらいで嫁に行くなんて当たり前だった。」というのは、明らかな誤りです。
戦時中の昭和17年(1942年)での平均初婚年齢は、男性29.5才、女性25.0才です。
昔の人の平均初婚年齢については、以前書いたので、そちらの記事をご参考にされてください。
また、離婚率についても明治時代は現代よりも高かったのです。
参照記事
赤とんぼ、15で結婚の真相を暴く!
家同士で決める、戦前の結婚
明治・大正・昭和戦前期の結婚は、多くが見合い結婚でした。
恋愛結婚は珍しかったのです。
当時は、結婚する際に親や戸主の同意を必要としたので、家同士で勝手に結婚相手を探してしまうことが多かったのです。結婚式で初めて顔を合わせたなんていう方も多いです。
結婚と婚姻の違い
そもそも「結婚」とは、夫婦になることを指します。
それに対して「婚姻」とは、法律上の用語でしかありません。
法的な意味においては、婚姻届が出されることによって、結婚したものとして扱われます。
現代では、同居を始めた日と、結婚式を挙げる日、婚姻届を提出する日は、それぞれ異なっているケースのほうが多いように思えます。
結婚しても、すぐに婚約届を出さなかった
昔の人も、事実上の結婚生活が始まった日と、婚姻届を提出する日が、大きく異なっているケースがよくあります。
こうした場合は、いくつかの理由が考えられます。
まず考えられるのが、結婚に“お試し期間”がもうけられていたというものです。
ほとんど初対面の二人です。
相性が合うのかどうか分かりません。
だから一定のあいだ、籍を入れないで同居させて、様子を見るようにしていたといいます。
子どもができたら婚姻届を出す
子どもができてから、婚姻届を出すということもよく行われていました。
逆に、子どもができない場合には、離婚するケースが多かったみたいです。地域によっては、こうしたことが一般的に行われていた所もあります。
これは江戸時代からの傾向ですが、明治時代はとても離婚率が高かったのです。
親や戸主の反対で婚姻届の提出が遅れるケース
また、親や戸主が反対していたために、婚姻届をなかなか出せなかった夫婦も多くいました。
旧民法772条では、男30才未満、女25才未満の場合には、婚姻には父母の同意が必要とされていました。
こういった場合は、子どもを身ごもってから、婚姻届を出すことで、子どもに嫡出子身分を取得させます。
また、子どもが生まれるまでに婚姻届を出せなかった場合には、子どもは「庶子」となり、その後婚姻届が出された段階で、「嫡出子」になります。
家系調査をしていて、先祖が結婚してから子どもが生まれるまでの期間が短かった場合には、上記のようなことが考えられるのです。
参照記事
江戸時代、明治時代以降の「妾」について