幣原喜重郎は36歳で勲三等・39歳で勲二等・44歳で勲一等の異例叙勲

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PIRO4D / Pixabay

幣原喜重郎の位階勲等・官等昇叙のスピードは?

幣原喜重郎は外務省のなかで異例のスピード出世をとげている、
幣原は1872年生まれ。1896年に外務省に入省して、
1915年に外務次官、1919年に駐米大使、
そして1924年に加藤高明内閣で外務大臣となる。

幣原喜重郎は、
課長の頃に、高等菅三等、従五位であるときに、
勲三等を叙勲している。
当時の幣原喜重郎は36歳。

現在よりもずっと若くして叙勲するのが、
戦前の勲章制度なのだが、
いくらなんでも36歳で勲三等という例はあまりない、

幣原喜重郎のように、出世の早いものならば
高等菅三等で従五位ならば、
通常ならば勲六等か勲五等くらいが妥当と思われる。

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幣原喜重郎は、39歳勲二等を叙勲

その後、
39歳で勲二等叙勲。この頃正五位になっているので、高等菅二等、つまり勅任官に叙任したのだろう。
これも正五位ならば、普通は勲四等くらいが妥当であるので、
やはり異例の叙勲スピードだ。

幣原喜重郎は、44歳で勲一等を叙勲

44歳で勲一等を叙勲。
外務次官のときのことである。入省19年目で次官にまでなってしまっている。その前年に位階は従四位に昇叙していた。これも異例で、通常は従四位であれば勲三等が妥当だと思われる。

幣原喜重郎は、48歳で男爵となる

その後、
幣原喜重郎は48歳で男爵にまでなっている。

外務省には多くの官僚がいたが、
ここまで昇進スピードが速い官僚というのは
おそらくほかにいないのではないかと思う。

このように見てきたが、当時のエリート官僚は幣原喜重郎ほどではないにしろ、

かなり出世が早かった。

陸軍海軍などよりも、官僚はずっと早く出世している。

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