矢野顕子さんの実家とファミリーヒストリー

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weinstock / Pixabay

矢野顕子さんの先祖と家系図

今回のファミリーヒストリーは、シンガーソングライターの矢野顕子さんです。
矢野顕子さんは、青森県の医師の家に生まれたというのは有名ですが、どういった家系なのでしょうか。
ファミリーヒストリーでは、その謎に迫ります。
いつも通り、みなさんの家系図作成に役立つような知識をまじえながら考察してまいりたいと思います。

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矢野顕子さんの母方の先祖を調べる

まずは、青森の矢野顕子さんの実家を取材します。
矢野顕子さんの弟・鈴木伸吾さんによると、矢野顕子さんの母親は、丸山という苗字で、先祖は武士だったといいます。

番組では、会津藩の『藩士系譜』をもとに丸山家の先祖調査をします。
このように、武士の家柄だと、藩に提出した家系図が残っているので、家系を調べる際には、手始めに調査したいものです。
しかし、先祖が武士だったからといって必ずしも家系図が残っているわけではありません。
武士のなかでもある一定以上のもののみと考えておいて良いと思います。
また、家によって詳細に書かれているものもあれば、簡易な記載となっているものもあります。

参照記事
武士の家系図を調べる

会津藩の藩士の家系図調査から

矢野顕子さんの先祖の家系図は、細かく書かれたものです。
歴代当主の母や妻の記載まであります。
丸山家の先祖は、江戸時代初期の1643年に、矢野顕子さんの10代前の先祖が、現在の福島・会津若松市にあった会津藩に入ったのに遡ります。
会津藩初代藩主・保科正之のもとで、殿様の身の回りの世話をする「小姓」という役職に就いたと書かれています。
その後も幕末まで連綿として、会津藩の歴代藩主のそばで仕えてきました。

丸山家の家系に特徴的なのは、禄高がぐんぐん上がっていることです。
はじめ150石だったのが、代を重ねるごとに上がっていき、幕末には500石ほどになっています。
これほどまでに禄高が上昇しているのは、珍しいと思います。
とても優秀な武士の家系で、藩から重宝されていたのでしょう。

500石という禄高は、とても高いです。
100石あれば、上級武士といえるので、相当なものだと思います。

明治維新後、青森に移住した先祖

矢野顕子さんの先祖は、会津藩が戊辰戦争に負けると、藩主・松平容保とともに現在の青森市に移住しました。
そして、寺子屋の先生となり、その後、おいらせ町立百石小学校の初代校長になりました。
会津藩の場合、「賊軍」とされてしまったので、このように青森県に移住したような例があります。

矢野顕子さんの父方のファミリーヒストリーへ

次いで番組では、矢野顕子さんの父方の家系のファミリーヒストリーへと移っていきます。
そして、矢野顕子さんの祖父・伊佐治さんが医学の道を志します。
現在の東京医科大学に入学し、卒業後、医者となります。
この地で結婚し、青森の病院に院長として迎えられ、矢野顕子さんの父・威男さんが生まれました。

そして矢野威男さんも同じ東京医科大学に通い、医者となりました。
そんな威男に見合いの話が舞い込む。
相手はミス・ユニバース青森県代表に選ばれるほどの美人でした。
それが、会津藩士の血を引く、のちに矢野顕子さんの母となる人物です。

このようにして、矢野顕子さんへと家系がつながっていくのです。

今回のファミリーヒストリーは?

今回のファミリーヒストリーは、武士の家系図が残っていたことで、調査は簡単でしたね。
一般的に、武士の家系は農民や町人の家系よりも遡りやすいです。
とはいっても、矢野顕子さんの先祖は、武士のなかでもかなりのクラスの武士の家系でしたので、特別かもしれません。

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