戦前の社会的階級
「平民(へいみん)」という言葉があります。
現在の私たちが、日常的に「平民」という言葉を使う機会はまずないでしょう。
あるとすれば、トランプゲームの「大富豪」をやっているときだと思います。
トランプゲームで「大富豪」というものがあります。
あるいは「大貧民」とも呼称されます。
勝ったものから順番に「大富豪・富豪・平民・貧民・大貧民」という役回りを与えられるゲームなのです。
このゲームの基準でいえば、富豪と貧民のあいだの「中間的な人々」ということになります。
おそらく、「平民」ってどういう意味だと思いますか?と、いろいろな人に訊いてみると、「普通の人」とか「一般人」という回答が返ってくると思います。
戸籍にも記載された族称
戦前の日本では「平民」というのは一つの身分でした。
族称(ぞくしょう)・族籍(ぞくせき)のひとつです。
族称には、「華族・士族・平民」とあります。戸籍にも、こうした記載がされていました。
江戸時代に、大名や公卿だったものや明治の元勲などは「華族」となり、武士だったものは「士族」、それ以外のものは「平民」になりました。
一部例外があるのですが、おおむねこのように言えます。
参照記事
戸籍に見られる族称・族籍について
士族と平民のあいだの格差
「士族」と「平民」のあいだには、いろいろな面で格差がありました。
武士の子弟だった士族が教育熱心で、教育を通じた階級の再生産を試みました。
旧制中学や師範学校などに子どもを通わせたのは、士族の家庭が多いです。
それに対し、平民の多くは家業である農業や商業の手伝いを優先させ、教育熱心ではありませんでした。
「勉強しないで、ウチの手伝いをしなさい」というわけです。
昔は勉強していると、怒られた人もいたそうですから、現代の価値観からすると不思議ですね。
このようにして、親の社会的格差・経済格差というものが子どもの代にも受け継がれていったのです。
しかし、「士族」は教育レベルが高く、金持ちで、「平民」は教育レベルが低く、貧乏だというのは、一面的なものの見方だと思います。
士族間の格差、平民間の格差
というのは、士族と平民のあいだの格差よりも、士族間での格差、平民間での格差のほうが大きかったからです。
武士の場合、明治維新後に県庁職員や教員・軍人などに転身できたものもいれば、そうでないものもいました。
士族間でも明治という時代にうまく立ち回れたものと、そうでないものがいたわけです。
士族間の格差については、以前にも書きましたので、そちらも参照されてください。
参照記事
明治時代の士族が出世した理由
また、平民間での格差も大きなものでした。
江戸時代、村の有力者であった庄屋や、知識階級であった僧侶・神主・医者も平民になっていますので、こうしたものであれば、それほど士族の家庭と条件は変わりません。
江戸時代の庄屋と小作農では、かなりの格差が存在していましたが、明治時代以降もそれが引き継がれたわけで、同じ平民という族称にくくられただけで、その格差は簡単には埋まりません。
参照記事
江戸時代の農民の階層
士族と平民の身分格差は希薄化していく
また、貧しい農民の生まれでも、勉強ができれば軍人や教員などになって、出世の糸口をつかむことができます。
これが明治という時代の持つダイナミズムだと思います。
このようにして、明治・大正・昭和と時代を下るにつれ、「士族」「平民」という階級差は、希薄化していったのです。