松崎しげるさんの先祖の調べ方
NHK総合テレビ2016年6月23日放送の『ファミリーヒストリー』は歌手の松崎しげるさんのルーツに迫ります。
家系図作成の専門的な知識を取り入れたうえで、ファミリーヒストリーの調べ方を、検討していきたいと思います。
戸籍消失で難易度の高い調査に
今回の調査は、とても難易度の高いものでした。
なぜかといいますと、戦災により戸籍が消失してしまっていたからです。
松崎しげるさんは、東京都江戸川区の生まれですが、東京都の戸籍には、東京大空襲で消失してしまったものが多くあります。
先祖の戸籍が、このように戦災により損なわれてしまっている場合には、とても調査が難しくなります。
手がかり不足を埋めていく作業
番組取材班は、松崎しげるさんの叔父・松崎泰男さんを訪ねました。
戸籍の情報だけでは、手がかりが少ないので、関係者に聞き取り調査をおこなったわけです。
松崎泰男さんへの取材によってもたらされた情報を整理すると、
・松崎家は、泰男さんの父の代まで「菊屋」という屋号で靴屋をしていた
・父親の弟かいとこが、群馬県伊勢崎市で飲料販売店をやっているという話を聞いたことがある
以上の点です。
とにかく手がかりが少ないので、伊勢崎市にいたという親戚を探してみるしかありません。
参照記事
家族・親戚への聞き取り調査
通常であれば、お手上げな先祖調査
取材班は、群馬県伊勢崎市に出向きました。
すると、「松崎」という飲料販売店が一軒だけ見つかりました。
こちらのお店は、以前「菊屋」という屋号だったといいます。
そこで番組では、こちらの店主さんの戸籍を調べさせてもらいます。
しかし、この調査によっても、松崎しげるさんの家系とのつながりは判明しませんでした。
こちらの店主さんの戸籍を調べるのは、通常であれば理解が得られなかったのではないかと思われます。
『ファミリーヒストリー』という番組への理解と、松崎しげるさんという有名人との関係があったからこそ、可能となったものであり、一般の家系図作成会社であれば、この段階でお手上げだったと思います。
郷土史から糸口をつかむ
番組では、入手した戸籍から、なんとかして手がかりを見つけようとします。
すると、こちらの店主さんの曽祖父が、新潟出身だということが分かりました。
しかし現在、新潟の本家との親交は途絶えており、戸籍に住所を得ることはできません。
なんとかして手がかりが得られないものかと考えて、次は、郷土史の調査をおこないました。
すると、新潟県から群馬県に移住してきた人たちの情報が得られたのです。
そして、番組取材班は上越市公文書センターに出向き、江戸時代に関東地方で商店を開いた人たちの名簿を調べ上げました。
すると、その中に伊勢崎の「菊屋」の名前が見つかったのです。
参照記事
郷土史から先祖を調べる方法
極めて難しい調査をクリア
番組では、あっさり見つかったように構成されていますが、これを見つけるのは至難のわざと言えるでしょう。
というのは、この調査をおこなうには、以下の点をすべてクリアする必要があります。
資料が、
・作成されているのか
・作成されたものが残っているのか
・保存されているものがどこにあるのか
・保存さえていても閲覧できるのか
おそらく、この調査だけで、膨大な調査時間を要したものと思われます。
上越市を訪ねて、本家を特定する
そこで、古文書のあった上越市を訪ねることになります。
苗字の分布を調べてみると、この地域には松崎という苗字が多いことが分かりました。
このように手がかりが少ない先祖調査の場合には、「苗字の分布」を調べるのが、有効性が高いです。
番組では、松崎しげるさんの本家を探すために、30軒以上ある松崎姓の家を探索しました。
すると、上越市で農業を営む方にたどり着きました。
古い門柱に「菊屋」という屋号が記されております。先ほどの調査の屋号と同じです。
これは、何か関係ありそうです!
そこで番組では、こちらの戸籍を調べさせてもらいます。
すると、そこには「長作」というしげるさんの曽祖父の名前がみつかりました。
そして、伊勢崎に出てきたという松崎清助さんと兄弟だったことが分かりました。
松崎しげるさんの叔父さんのお話だと、
「父親の弟かいとこが、群馬県伊勢崎市で飲料販売店をやっているという話を聞いたことがある」という話は、本当でした!
また、今回は「屋号」というのがキーポイントになりましたね。
しかし、こちらでも本家の方に戸籍調査の協力を得ております。
これも、一般の方が「親戚かもしれない」という家を訪ねて、「戸籍を見せてほしい」といっても無理でしょう。
『ファミリーヒストリー』だからこそ、出来たものだと思います。
参照記事
苗字から先祖を調べるには、同姓分布をチェック
屋号と先祖の名前の関係
戸籍がないと、家系図作成はこんなにも難しい
今回は、綱渡りのような作業の連続です。
なぜ、これほどまでに調査が難航したのかというと、戦災によって、松崎しげるさんの戦前の戸籍が消失してしまったからです。
戸籍が廃棄されてしまうと、こんなにも家系調査が難しくなるのです。
戸籍には保存期間がもうけられており、保存期間を過ぎたものは、やがて廃棄される運命にあります。
今後、先祖を調べたいと思い立ったときに、戸籍が廃棄されてしまっていたら、先祖調査はとても難しいものになってしまいます。
なので、戸籍取得だけは早めに済ませておく事を、おすすめ致します。
参照記事
戸籍調査から家系図を作成する方法
松崎しげるさんの父、生まれる
本家の戸籍情報によって、しげるさんの曽祖父・長作さんは、新潟より東京・深川に移住したことが判明しました。
そして、しげるさんの祖父・泰三郎さんの代に、靴屋を開き、実家の屋号にちなんで「菊屋」と名付けました。
大正9年には、しげるさんの父・邦泰さんが生まれます。
松崎邦泰さんの経歴と軍歴
昭和13年(1938年)、18才になった邦泰さんは、葛飾区の製鉄所に職を得ました。
仕事は製品の品質確認で、顕微鏡を使って鉄を分析していたといいます。
昭和15年(1940年)、邦泰さんは陸軍に衛生兵として召集されます。
昭和17年(1942年)には、邦泰の部隊はビルマ(現在のミャンマー)へと向かいます。
邦泰さんは、戦地で蔓延するマラリアを防ぐため、研究の任務についていました。
その後、昭和19年(1943年)には、インパール作戦に従軍します。
インパール作戦は、無茶な指揮官の命令によって、多くの人命が失われた作戦として、あまりにも有名です。
さいわい、邦泰さんは生還しました。
そして、昭和21年(1946年)、帰還した邦泰さんは、
しげるさんの母になる福島芳江さんに出会いました。
邦泰さんの詳細な経歴が分かるのは、なぜかというと、軍歴証明書を調べたからです。
軍歴証明書とは、旧日本軍に所属した軍人・軍属の情報を収録したものです。
こちらの資料は、従軍された方の詳細な情報をつかむのに適したものです。
先祖のことを調べたい方は、是非入手されるとよいでしょう。
参照記事
軍歴証明書・兵籍簿の取り方
松崎しげるさんの母方の先祖
番組では、松崎しげるさんの母方の家系も辿っていました。
松崎しげるさんの母方の先祖には「小松風」という相撲取りがいたという話が伝わっています。
地元・葛飾区の博物館や神社、資料館などに「小松風」の記録が残されていました。
本名は杉山国次郎といったそうで、戸籍にも同じ名前があったことで確認がとれました。
松崎しげるさんは、自分の曽祖父が力士だったことを知って、驚いていました。
番組の構成上の都合で、母方の家系については、それほど時間を割いていませんでしたが、こちらの方が調査するのは容易だったと思います。
ファミリーヒストリー史上、最高ランクの難しさ
今回は、綱渡りのような作業の連続でしたね。
あれだけの調査は、一般の方がやるのは絶対に不可能です。
家系図作成の専門業者であっても不可能だと思います。
専門業者に依頼した場合、通常であれば、幕末までの先祖調査ならば50万円くらいで引き受けてくれます。
これだけの金額で、今回の『ファミリーヒストリー』と同じだけの調査をするには、絶対に不可能です。
今回の『ファミリーヒストリー』の調査には、実に多くの手間と時間と費用がかかったはずです。
「親戚かもしれない」というだけの関係の方に、戸籍調査の協力を二回も要請していますので、よほど調査が難航したのではないかと思います。
これまでに放送された『ファミリーヒストリー』のなかで、最も難しい調査だったのかもしれません。
よく諦めずに、先祖を調べてくれましたね。
『ファミリーヒストリー』でなければ無理な調査だったと思います。
松崎しげるさんも、ご先祖のことがよく分かって、満足気でした。