戦前の豪農・地主
戦前の多くの町では、農業が主力な産業となっていました。
現代のように、郊外都市に住んで、都市に通勤するといったライフスタイルが定着したのは、戦後になってからのことです。
戦前においては、現代とは違い、子どもたちは学校の勉強よりも、家の手伝いを優先していました。
農業は家族経営ですから、子どもたちも重要な労働力として見なされていたのです。
農民間での資産格差
戦前の農家のうち、力をもっていたのは「豪農(ごうのう)」とか、「地主」と言われる人たちです。
当時は、同じ農民間における資産格差が激しかったのです。
明治維新以降、地主として成長するものがあった一方で、無産階級である小作人の数も一貫して増加しています。
地主となったものは、地方議員を務めたり、商業を始めたりと、さらに勢力を拡大させていきます。
教育を通じた階級再生産
また、地主は子どもたちの教育にもお金を使い、旧制中学や高等女学校などに進学させました。
そうすることによって、教育による階級再生産を試みたのです。
地主の子どもたちは、良い学校に入ります。
良い学校を出ると、良い会社に入って、高給を得ることになります。
一方、貧農の子どもたちは、学校に行く余裕はありませんから、小作人か工場労働者になって、低賃金で働くことになります。
現代でも、新自由主義による社会的格差の問題が指摘されていますが、それと似たようなものだと思われます。
GHQによる農地改革で地主の時代は終わる
しかし、戦後のGHQによる農地改革で、こうした地主の時代は、終わりをつげることになります。
地主たちは、すべての耕作地を自分で耕すこともできないので、多くの土地を小作人に貸し付けていました。
GHQは、こうした「不在地主」から、土地を強制的に奪いました。
そして、小作人たちに土地が分け与えられることになります。
これが「農地改革」というものの実態です。
このようにして、戦後、地主たちは没落することになります。
しかし、戦後も地方議員などを務めて、町の自治に関わっているケースが多いです。
戦前のご先祖が地主であった場合の調査
さて、戦前の我が家は地主だった、といった場合には、どういった調査をすれば、ご先祖のことが分かるのでしょうか?
地主として、多くの税金を払っていれば、「多額納税者」として、しかるべき資料にお名前が見られると思います。
あるいは、旧土地台帳を見ることによって、具体的にどこの土地を持っていたのかを明らかにするのも面白いでしょう。
また、地方議員などを務められていたのならば、そういった行政関係の資料も参考になると思います。
江戸時代から続く豪農かもしれない
もしも、戦前のご先祖が、地主でいらしたならば、江戸時代から続く豪農の可能性が高いです。
こうした場合、多くのご先祖の資料が出てくるものと思われます。
戦前のご先祖が地主だった、という場合には、是非ご先祖のことを丹念に調べてみたいものです。