江戸時代は単独相続が基本
江戸時代の相続は、単独相続が基本です。
例えば、3町の農地を保有している、地主がいたとしましょう。
3町とは、土地の面積の単位で、9000坪に相当します。
この地主には、2人の男子と、1人の女子、合わせて3人の子どもがいました。
現在でしたら、3人の子どもがいるので、法定相続人は3人ということになります。
この場合、それぞれ、3分の1ずつ土地を分けて、相続する形になると思います。分割相続ですね。
3町もあれば財産家ですから、現代であれば、かなりもめそうなケースです(笑)
しかし、江戸時代はこういった分割相続というのは、珍しかったのです。
一番多いケースは、長男がすべての財産を相続する、というものです。
二男は、養子に出して、長女は嫁に出すことで、遺産は一切与えないのです。
単独相続が採用された理由
なぜ、このような相続がおこなわれたのかというと、多くの家が貧しかったからです。
農家としての体面を保ち、本百姓(ほんびゃくしょう)としてやっていくためには、1町くらいの土地を持っていなければなりません。
本百姓とは、「領主に対して年貢を負担し、村社会のなかの構成員として、村政に発言権を有する者のこと」と、とりあえず理解しておいてください。
一人前にやっていくには、それなりの資産が必要なわけです。
現在でも、独立して生計を立てていくためには、それなりの収入がなければなりません。
それと同じことです。
農民として生計を立てるには、土地がいる
農民は、土地がなければ、生産することができません。
なんとか家族を養って生活していけるだけの収入を得るためには、1町の農地が必要だったのです。
つまり、1町に満たない耕作面積しかなければ、生活が立ち行かなくなってしまうのです。
もしも、1町の土地を持つ農民が、3人の子どもたちに分割相続して、それぞれ3分の1ずつに土地を分け与えたら、どこの家も滅んでしまうことになります。
それでは、困るということで単独相続という形で、すべての土地を一人に相続させることで、家が没落してしまうことを避けたのです。
実際に、大半の農民は、1町くらいしか土地を持っていなかったので、分割相続をする余裕がなかったのです。
分家がたくさんあるのは豊かだった証拠
そう考えると、分割相続できた農民というのは、生活に余裕があったということになります。
例えば、全部で3町の土地を持ち、2町を長男に相続させる。
残りの1町を二男に譲り、分家させる。
こういったことをできる家というのは、恵まれた家です。
現在でも農村部には、同じ名字を名乗っている旧家がたくさん残っている町があります。
同じ名字を名乗っている家は、元をたどると一つの総本家にルーツを持っているケースが多いです。
つまり、そうした名字を持つ人は、分家をたくさん出せた家の子孫だということです。