「士族」になれなかった具体的事例
江戸時代の先祖が武士だった家系は、明治時代になると「士族(しぞく)」になったとされています。
ということは、明治時代の先祖が「士族」であった家系であれば、江戸時代には、武士だったということになるのでしょうか。
例外的なケースをのぞけば、そのように言えると思います。
では、例外的なケースとは、どういったものなのでしょうか?
先祖が「士族」だったのか、「平民」だったのか分かりにくい事例を、まとめてみました。
家系調査をしていて、先祖が「士族」だったのか、「平民」だったのかを知りたい、という方は、かなり多いです。
そうした方には、大いに参考になるものと思われます。
幕臣の家来だった、ご先祖は士族か?
Q、
私の家系は、御家人の家来だったと伝えられています。
家系図が残っているわけではないので、はっきりしないのですが…。
御家人の家来というと、江戸時代は、武士という扱いになるのでしょうか?
そして、明治維新を経て、士族とされたのでしょうか?
A、
御家人の家来は、多くの場合、武家奉公人(ぶけほうこうにん)というものであり、
武士ではありません。
したがって、ご先祖様は、武士としての扱いを受けていらっしゃらなかったのだと思われます。
御家人の家来の家系は、明治維新後、平民になっております。
旗本の家臣は、士族になれないケースが多い
Q、
私の先祖は、旗本の家臣だったと言います。
家系に興味を持ちまして、戸籍を調査してみたのですが、現在は、族称(ぞくしょう)の欄は塗り潰されているとのことで、士族だったのかは分かりませんでした。
旗本の家臣は、明治時代に士族になれたのでしょうか?
A、
結論から申し上げますと、士族には、なっておりません。
旗本家自体が、華族になった交代寄合の一部の家系を除いて、明治維新後に、士族になっております。
その家臣ですから、同列に扱うべきでないという判断がなされたのでしょう。
高禄の旗本の家臣であれば、江戸時代は武士身分だった者もいます。
しかし、彼らですら、明治維新後は、士族になれませんでした。
江戸時代のご先祖が武士であったことと、ご先祖が士族であったことは、必ずしも一致するわけでは、ありません。
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