江戸時代の農民間の身分格差
日本人の先祖の多くは、農民です。
江戸時代では80%以上の人が農業を職業にしていました。
おそらく、家系調査をしようと思っている皆さんのご先祖にも農民がいたはずです。
したがって、家系調査をする上では、江戸時代の農民についての理解が必須となります。
地主、自作農、小作農とは?
一口に、先祖が農民だったといっても、一様に「農民」という身分を語ることはできません。
その構成は、実に多様です。
経済的、社会的な階層から農民を類型化してみた場合、このように整理することができます。
・地主(じぬし)
・自作農(じさくのう)
・小作農(こさくのう)
地主とは、耕作する土地を持っていて、さらに他の農民に土地を貸している者のことを指します。
奉公人(ほうこうにん)なども抱え、農民のなかでは豊かな生活をしていた人たちです。(※奉公人…使用人のこと)
自作農は、自分で土地を所有し、それを耕作して生計を立てている農民です。
大きくはないが、きちんと独立してやっていける人たちです。
小作農は、土地を地主から借りて、それを耕作することで、生計を立てている農民です。
小作人(こさくにん)ということもあります。
広がる農村格差問題
江戸時代中期までは、自作農の割合が高く、農民間における経済格差は、それほど大きくありませんでした。
しかし、時代を経るごとに、自作農のなかには地主として成長するものが出るとともに、小作農に零落してしまう例も見られました。
農民間における格差が徐々に開いていったのです。
ちなみに、欧米諸国でも、こういった地主と小作人の関係が見られます。
豊かな農民は、ますます豊かになり、そうでない農民は、どんどん貧しくなっていったという構図は、どこの世界でも見られたみたいです。
地主、自作農、小作農の割合
地主、自作農、小作農の構成割合は、地域によってかなり異なってきますが、江戸時代後期においては、おおむね以下の通りです。
地主・・・15パーセント
自作農・・・25パーセント
小作農・・・60パーセント
村のなかで、力を持っているのは、地主たちです。
庄屋(しょうや)や年寄(としより)などの村役人たちは、地主たちが独占することになります。
ちなみに庄屋というのは、世襲制の村長のようなものだと理解されると良いかと思います。
また、庄屋のことを、中部地方、関東地方では名主(なぬし)、東北地方では肝煎(きもいり)と言いました。
農民だったご先祖の家系調査の目的
ご先祖が農民だった場合には、どのような農民だったのかといったことを調査すると、より一層ご先祖の暮らしぶりを明らかにすることができると思います。
“ご先祖が武士だったのか、農民だったのか”といったことに、こだわる方もいますが、こうした見方は一面的なものです。
確かに、江戸時代の日本においては、武士は支配階級であり、農民は被支配階級でした。
しかし、そうした時代のなかで、自分のご先祖がどのように生き抜いてきたのかを知るのが、家系調査の目的だと思います。
地主だったのか、自作農だったのか、小作農だったのか?
耕作面積はどれくらいか?
屋号はなんだったのか?
そういったことを知るのが、家系調査の醍醐味です。