大竹しのぶの祖母・八重のファミリーヒストリー、母親・父親と実家は?

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Alexas_Fotos / Pixabay

大竹しのぶの祖母・八重と祖父・吉川一水、父親と母親の巡り合いと結婚

大竹しのぶさんの、ファミリーヒストリーが放送されました。

大竹しのぶさんは、
祖父が布教使で、内村鑑三らと親交があった、というのは、
有名な話だったので、
ファミリーヒストリーでは、あらたにどのようなことが、
明らかになるのか楽しみですね。

それでは、
大竹しのぶさんのファミリーヒストリーの、
内容や調査方法を解説していきたいと思います。

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大竹しのぶの祖母・八重のファミリーヒストリー

番組では、
まずは、
大竹しのぶさんの祖母の人生を調べています。

大竹しのぶさんの祖母は、
吉川八重という名前です。

明治時代中頃に、
家具商を営んでいたのが八重の実家でした。

自宅は東京・麹町にあり、
大地主だったといいます。

かなり裕福な家庭のようですね。

現在でも千代田区麹町あたりといえば、
高級住宅街ですが、
これは明治時代からのなごりです。

大竹しのぶさんの祖母・八重は、
かなり裕福な家庭で育ったということができますね。

大竹しのぶの祖母・八重の学歴と結婚

大竹しのぶさんの祖母・八重は、
教育家・津田梅子が開校した、女子英学塾に入学しています。
現在の津田塾大学ですね。

当時は、
小学校卒業さえままならないような子供が多かった時代です。

そうした時代的背景のなかで、
大竹しのぶさんの祖母は、
かなり高い教育を受けた、ということになります。

そして、
祖母・八重は、
山内権次郎や幸徳秋水といった思想家と知り合います。

特に、
山内権次郎とは親しくなり、結婚をすることになります。

大竹しのぶの祖母・八重は、夫とともにアメリカへ

そして、
大竹しのぶの祖母・八重は、夫とともに、
幸徳秋水が、
アメリカ、サンフランシスコへ渡った際に、同行したといいます。

しかし、
渡米して数年後、
夫・山内権次郎がなくなってしまいます。

ふたりの間には、一女がありました。
その娘の名前は、敏子といいます。

大竹しのぶの祖母・八重の離婚・再婚、結婚歴

そして帰国した、
大竹しのぶさんの祖母・八重は、
夫の実家に身を寄せました。

しかし、
八重は山内家にはいつかずに、
娘を山内家においていくことになり、
その後、二度目の結婚をして、男児を生んだのですが、
再婚相手の男性とは、すぐに離婚したといいます。

大竹しのぶの祖母・八重は、吉川一水と結婚へ

この後、
大竹しのぶさんの祖母は、
ひとりの人物と巡り合います。

吉川一水という人物です。
吉川一水は、のちの大竹しのぶさんの祖父となる人です。

吉川一水は、
教会に属さない無教会派の宗教家でした。

大正4年に、吉川一水と八重は結婚します。
翌年には長男が生まれ、一家は新天地、仙台市へ移りました。

そして、
大正11年に、女子が生まれ、「江すてる」と名付けます。
この「江すてる」が、のちに大竹しのぶの母親となる人です。

「江すてる」という名前は奇抜な名前ですが、
聖書に登場するエステル姫から名付けたのだそうです。

大竹しのぶの祖父・吉川一水の苦悩の日々

その後また、
一家は仙台から東京に出ます。

しかし、
東京での一家の暮らしは厳しいものでした。

戦争へと向かう暗い時代のなかで、
大竹しのぶさんの祖父・吉川一水は、
憲兵にも監視されるようになってしまいました。

そうしたなかで、
聖書の勉強会に参加する熱心な男性がいました。

それが大竹章雄という名前の男性です。
彼が、のちの大竹しのぶさんの父親です。

大竹しのぶの父親の先祖のファミリーヒストリー

ここからが、
大竹しのぶさんの父親の家系のファミリーヒストリーへと、
番組のトピックがうつっていきます。

戸籍によれば、
大竹しのぶさんの4代前の高祖父・大竹章作まで遡れました。

ファミリーヒストリーを見ていて、
番組スタッフはどうやって、出演者の先祖を調べているのだろうと、
疑問をもつ方は多いかと思います。

ファミリーヒストリーの調査については、
オーソドックスな家系調査の方法を綿密にやっているものなのです。

戸籍調査というのは、
先祖調査では必須の調査となりますので、
自分も先祖を調べてみたいという方は、
是非チャレンジしてみてください。

大竹しのぶの父親の先祖は名主だった

大竹しのぶさんの父親の先祖は、
新潟県の山林町というところで、
名主をつとめたといいます。

名主は、江戸時代の村をたばねる重要な役職でした。

名主の意味については、
江戸時代の村の構造を理解する上で、
必要な知識ですので、
是非覚えておきたいですね。

庄屋・名主ってどういう意味?

大竹しのぶの曽祖父と、父親・章雄の誕生

明治時代になると、
大竹しのぶさんの曽祖父・大竹国司は、宮城県の港町、塩釜市に移ります。
大竹国司は、医者になり、この土地に根付きます。

そして、
明治44年に、国司の孫・章雄が生まれます。
さきほど書いたように、
章雄が、大竹しのぶさんの父親です。

大竹しのぶさんの父親・大竹章雄は、
昭和12年に、遠縁の娘と結婚しました。

しかし、キリスト教を信仰する自分と、妻のあいだに精神的な溝ができてしまったために、
別れて、塩釜から出て、川崎の会社に勤めるようになったのでした。

大竹しのぶの父親・章雄と、母親「江すてる」の結婚

そして、
大竹章雄は、
大竹しのぶさんの祖父・吉川一水の聖書の講談会に通い始めました。

やがて、
一水の娘である、江すてるに、心惹かれるようになっていきます。

その後、
大竹章雄は太平洋戦争で召集されてしまいますが、
昭和21年に無事に帰還し、
江すてるに、プロポーズしたのでした。

このようにして、
大竹しのぶさんの父親と母親は結婚したのでした。

大竹しのぶのファミリーヒストリーの感想

今回のファミリーヒストリーは、
先祖が名主や麹町の地主だった、ということもあってか、
壮大なものになりましたね。

大竹しのぶさんは、
祖父母が、
内村鑑三や幸徳秋水という歴史上の有名人と、
かかわりを持っていたということでしたので、
かなり取材班も頑張って調べてくれた感じでした。

戸籍調査から家系図を作成する方法

ファミリーヒストリーでは、
たまに海外での取材がありますが、
明治大正昭和戦前の時代で、
海外に渡っていた日本人は、
それほど多くありません。

というわけで、
すばらしい番組に仕上がりましたね。

次回のファミリーヒストリーは、
松方弘樹、目黒祐樹さんのファミリーヒストリーです。

それでは、
次回のファミリーヒストリーの放送を、
楽しみにしたいと思います。

松方弘樹の父親?母親?子供は何人?息子はジャニーズ?娘は?結婚は?

※また、大竹しのぶさんの現在の家族についての記事はこちらです。

大竹しのぶの息子と娘・ IMALU、名前の由来?夫は明石家さんま?

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