副島綱雄と副島アヤ、副島富美子氏(正田富美子)、副島家の家系図と美智子上皇后の母方の家系の出身、ルーツとは?
美智子上皇后の母親、
正田富美子さんのご実家である
副島家(そえじまけ)。
正田富美子さんは、
美智子上皇后の母親、ということで、
マスコミでも取り上げられることが多かったです。
(旧名 正田富美から正田富美子へと改名された)
副島家は佐賀県発祥であり、
雅子皇后の母方の家系、
江頭家も佐賀県出身ということもあって、
美智子上皇后との縁も感じます。
また、
雅子皇后の出身校が、
田園調布雙葉高校であり、
美智子様の母親、正田富美子さん(旧姓は副島富美子さん)も、
雙葉高校の前身、雙葉高等女学校に学ばれたということもあり、
佐賀県と雙葉、というのが、
美智子上皇后と、雅子皇后に共通しているのが、興味深いところです。
この記事は
美智子上皇后の母親、正田富美子さんのご実家、
副島家の家系図や子孫についての話題を整理していきます。
副島家の先祖は副島種臣?
副島家の先祖は、
代々佐賀県に住んでいたようです。
副島家は、
佐賀の武士の家系です。
なお、
副島さんという苗字は
全国的には珍しいほうですが、
佐賀県にはそれなりに多くいるようです。
美智子上皇后の母親、正田富美子さんのご実家の副島家は、
副島種臣の家系とは、関係がなく、
先祖や親戚になるわけではありません。
副島家の先祖は、佐賀の武士で会津攻めに加わった
副島家の先祖は、
副島銀助、副島五郎左衛門、副島哲吾と、
さかのぼることができます。
副島哲吾が、
美智子上皇后の曾祖父、
正田富美子さんの祖父にあたる方です。
副島哲吾は、
幕末には会津攻めに加わったのでした。
そして
副島哲吾の次男として、
1881年に、現在の佐賀県多久市で生まれたのが、
副島綱雄さんです。
副島綱雄さんは、
美智子上皇后の祖父、
正田富美子さんの父親にあたられます。
副島綱雄は江商上海支店長
副島綱雄さんは
15歳の時に、分家の副島冨五郎さんの養子となっています。
養父にあたる、
副島冨五郎さんは、
副島綱雄さんの父親の弟にあたり、
酒造業で成功していた方でした。
副島綱雄さんは、
大阪高等商業学校を出て、
江商に入社。
江商は大手の商社であり、
現在の兼松です。
副島綱雄さんは、
上海支店長となり、上海に住んでいた時期も長かったようです。
副島綱雄さんは、
日本に帰国後は、
大阪三品取引所常務理事をつとめています。
副島綱雄の先妻:副島アヤと、後妻:副島けふ
副島綱雄さんの妻は、
先妻と後妻がいらして、
先妻のお名前は、
副島アヤさん(副島あや、副島綾とも)。
後妻は、
副島けふさんといいます。
美智子上皇后の祖母にあたるのは、
先妻の
副島アヤさんです。
副島アヤさんは、
副島家と同じく、佐賀県出身で、
現在の鹿島市の方です。
副島綱雄さんは、
副島アヤさんがなくなってから数年後に
副島けふさんと結婚されたようです。
副島けふさんは、京都の方でした。
副島家の住所は、新宿区戸塚から三鷹市下連雀へ
副島家は、
戦前には現在の新宿区戸塚に住居があったようですが、
戦中から戦後くらいに
三鷹市下連雀に移っています。
三鷹市下連雀は、
豪邸が多い地域ですが、
その中でも、ひときわ大きな邸宅が多いお屋敷町に
副島家はあるようで、
美智子上皇后も子供の頃にいらしたそうです。
副島綱雄の家系図!妻と子供は?
副島家の家系図は華麗で、秀才の家系です。
副島綱雄 1881-1941
佐賀県士族・副島哲吾の次男として生まれる
1896 酒造業・副島冨五郎と副島ミス夫妻の養子となる
1937 家督を相続
大阪高等商業学校卒
江商上海支店長
大阪三品取引所常務理事
天満織物監査役妻:副島アヤ(副島あや)
1888
佐賀県鹿島市出身妻:副島けふ
1895 京都、堀江純吉の次女
京都府立一高女出身男:副島呉郎さん
明治44
東大経済卒
東京銀行監査役
神奈川県立短大学長同妻:副島ふみ さん
大正6、東京、日本放送協会常務理事・桜井愛二長女男:副島陸郎さん
大正2
神戸商大卒
日清ペット・フード社長同妻:副島英子さん
大正7、医師・馬場辰二長女
雙葉高女出身男:副島民彦さん(後述)
長女:副島富美さん(副島富美子さん) ※美智子さまの母親
明治42
雙葉高女出身
日清製粉名誉会長・正田英三郎さんと結婚次女:副島艶子さん
大正9
雙葉高女出身
兵庫、水島合金鉄社長・尾上慎一さんと結婚三女:副島百合子さん
大正12
東日本総合信用社長・松田博彦さんと結婚
副島家は秀才の家系で、正田富美子さんは雙葉高等女学校の首席
美智子上皇后の母親の、
正田富美子さん(旧姓 副島富美子さん)は
雙葉高等女学校に学ばれ、首席で卒業したそうです。
正田富美子さんの
兄弟たちも
東大や京大などに学んでいます。
正田冨美子さんの弟、
副島民彦さんの妻は、
内閣情報局の創設にかかわり、戦時中にはスペイン公使をつとめていた
須磨弥吉郎の次女、吉弥枝さんです。
須磨弥吉郎は、
戦後には衆議院議員にもなりました。
副島家の子孫の家系図
副島民彦さん
1917 副島綱雄男
京大工学部卒 工学博士
日本無線社員
日清製粉専務妻:副島吉弥枝さん
大正14、衆議院議員・須磨弥吉郎二女
女子学院出身長女:副島みよ子さん
昭和20
桐朋学園ピアノ科出身
岡山大名誉教授・浜本英次さん長男、国税庁長官・浜本英輔さんと結婚次女:副島すみ子さん
昭和24
桐朋学園ピアノ科出身
三井物産副社長 松岡鉄哉さんと結婚
副島家の親戚は、
やはり官界や政財界のエリートが多いようです。
というわけで、
美智子上皇后の母親、正田富美子さんのご実家、
副島家の家系図や子孫についての話題をお送りしました。