ミキモト社長・御木本幸吉の子孫は?妻と子供、息子、娘、家系図は?
御木本幸吉(みきもとこうきち)。
真珠のミキモトの創業者、
御木本幸吉は、
三重県を代表する実業家の一人と言えます。
御木本幸吉は、
真珠の養殖に成功し、財を成しましたが、
日本のみならず、世界的にミキモトの真珠は有名です。
また、
御木本幸吉の息子は、
英文学の分野で活躍しており、
御木本幸吉の家系図や子孫には、
いろんな方がいて、興味をひかれます。
この記事は
ミキモト社長一族の家系図や
御木本幸吉の妻や子供、子孫に関する事柄を整理していきます。
御木本幸吉の実家は三重県のうどん屋!父親と母親は?
御木本幸吉は、
幕末の安政5年に現在の三重県鳥羽市に生まれました。
御木本幸吉の実家は、
代々うどん屋さんを経営していました。
父親は、御木本音吉、母親は、もとという名前です。
御木本幸吉の
父親の御木本音吉、
祖父の御木本吉蔵ともに、商才に長けた人物であり、
御木本幸吉の実家は、
裕福だったようです。
御木本幸吉の妻と息子、娘は?
御木本幸吉の家系図を見てみます。
御木本幸吉 1858-1954
三重、御木本音吉長男
御木本真珠店(ミキモト)創業者母:御木本もと
天保7、三重、中井半兵衛二女妻:御木本うめ
旧鳥羽藩士・久米盛蔵の娘長男:御木本隆三(後に記述)
長女:御木本るい
明治14
神奈川士族、海軍造兵中将・武藤稲太郎と結婚二女:御木本みね
明治17
大阪、西川虎吉の弟、養殖真珠研究所長・西川藤吉と結婚三女:御木本よう
明治19
兵庫、池田康太郎次男、御木本真珠取締役・池田嘉吉と結婚四女:御木本あい
明治21
東京文理大名誉教授 乙竹岩造と結婚弟:御木本松助
明治元年
分家弟:御木本卯之助
明治3
三重士族・加藤倉之助養子となる妹:御木本はる
慶応2
分家する妹:御木本しけ
明治7
三重、加納幸と結婚※家系図は敬称略
ミキモト社長一族の家系図は、名家との閨閥が広がる
御木本幸吉の家系図は、
娘の結婚相手の親戚関係から、
閨閥が広がっています。
御木本幸吉の四女は、
教育学者の乙竹岩造と結婚しています。
乙竹家の親戚には
仙台逓信局長や東京逓信局長をつとめた、
山岸哲夫や
佐賀県知事や長崎県知事をつとめた
富永鴻、
元逓信省管理局長で、
藤倉化成社長の景山準吉など、官僚が多いです。
御木本幸吉の息子、御木本隆三はラスキンの研究者
御木本幸吉の息子、
御木本隆三について、見ていきましょう。
御木本幸吉の息子、
御木本隆三は英文学者であり、
ジョン・ラスキンの研究者でした。
御木本幸吉の息子でしたが、
ミキモトの社長にはなっていません。
御木本幸吉の息子、御木本隆三の家系図
御木本隆三の妻や子供たちについて見ていきます。
御木本隆三 1893-1971
御木本幸吉の長男
東大英文科、京大経済科卒
英文学者妻:御木本レン
明治29、牧師・横浜源一郎次女、御木本真珠取締役・横浜礼吉の姉
東京音楽学校卒長男:御木本美隆(後継者)
長女:御木本幸子
大正8
山梨県知事、本間利雄の長男 ミキモト社長、本間章と結婚
御木本幸吉の息子、
御木本隆三の妻は、御木本レン。
御木本レンの弟の、
横浜礼吉は、ミキモトの取締役を務めていました。
なお、
横浜礼吉の長女は、
元服部セイコー社長の服部礼次郎さんの妻になられています。
服部セイコー、服部家の家系図!服部金太郎の子孫と一族、令嬢は?
ミキモト元社長:御木本美隆の妻と子供は?
御木本隆三の長男の、
御木本美隆さんの家系図についても見ていきます。
御木本美隆さんは
御木本幸吉の孫にあたります。
御木本美隆さん
大正7
慶大経済科卒
ミキモト2代目社長妻:御木本澄子さん
大正14 中支振興副総裁・伴野清さんの娘
雙葉高女
ピアニスト養子:御木本豊彦さん(春日豊彦さん)
ミキモト5代目社長同妻:御木本香さん
ミキモト2代目社長・本間利章さんの娘
御木本幸吉の孫、
御木本美隆さんの妻の澄子さんの家系図も、
華麗なもので、
住友銀行会長の八代則彦さんは大叔父にあたります。
御木本幸吉の子孫の現在
御木本美隆さん、澄子さんの
養子の
御木本豊彦さんは、
ミキモト社長を務めています。
御木本豊彦さんは、
ミキモト2代目社長の本間利章さん(御木本幸吉の孫の夫)の
娘の夫であり、
つまり創業者家系につらなる方ですが、
御木本豊彦さんは、
その後、春日豊彦さんと旧姓に戻られています。
御木本幸吉の子孫の家系図は、このように続いています。
ミキモト社長一族の家系図や
御木本幸吉の妻や子供、子孫に関する事柄を見てきました。