乃木希典の妻と家系図!子供は息子?娘?子孫の現在は?父親と先祖は?

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Darkmoon_Art / Pixabay

乃木希典の家系図と妻、子供、家族は?父親と先祖は長州藩士?息子と娘、子孫の現在は?

明治日本で、最も有名な軍人の一人ともいえる、
乃木希典(のぎまれすけ)。

乃木希典について、
扱った小説や映画は多いですね。

乃木希典は、
日露戦争で指揮を執った軍人であるとともに、
学習院院長をつとめ、
昭和天皇の教育係でもありました。

いろんな逸話がある、
乃木希典ですが、
その人物像を知るために、家族や家系図に関することを、
今回の記事で扱っていきたいと思います。

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乃木希典の先祖の家系は?

乃木希典の家系について、
まず先祖はどういった人なのか、
父親はどんな人物かということから、
探っていきたいと思います。

乃木希典の家系は、
現在の山口県の長州藩の支藩である、
長府藩士の家系です。

乃木希典の家系は、
長府藩の上級の武士の家系でした。

乃木希典の父親は150石取りの武士

乃木希典の父親は、
乃木希次という名前です。

乃木希典の父親の禄高は、
150石取りで、
乃木希典が生まれた時は、
江戸にいました。

つまり
乃木希典は山口県の人ではあるのですが、
生まれた場所は、
現在の港区六本木になります。

乃木希典の先祖については、
宇多源氏の家系だといいますが、
諸説あるようではっきりしていない部分もあるようです。

ただ、
乃木希典の家系が、由緒ある上級武士の家系であることは、
はっきりしています。

乃木希典の妻、乃木静子は薩摩藩士の家系

乃木希典の妻は、
どういう方なのかを見ていきましょう。

乃木希典の妻の名前は、
乃木静子です。

乃木希典の妻の出身地は、
現在の鹿児島県鹿児島市。

乃木希典の妻の家系は、
薩摩藩士の家系です。

乃木希典は、
20歳で
乃木希典と結婚しています。

乃木希典の妻の家系図は?

乃木希典の妻の家系図には
有名な人が多いです。

乃木希典の父親の、
湯地定之は薩摩藩医。

そして
乃木希典の妻には
3人の兄がいますが、
長兄は貴族院議員の湯地定基。

次兄は海軍軍人(大尉)の湯地定廉。

三兄は海軍機関中将で貴族院議員の湯地定整。

乃木希典の妻は、
薩摩藩系の藩閥において、
幅を利かせた家系のようです。

乃木希典といえば、
長州のイメージがありますので、
妻の方の家系が薩摩というのは、なんだか意外な気もします。

乃木希典の子供は何人?

乃木希典の家族構成と、
子供たちについてです。

乃木希典の子供は何人かということからですが、
乃木希典には4人の子供がいました。

息子が3人と娘が1人です。

このうち、
成人するまで育ったのは
乃木希典の長男と次男の2人だけで、

長女と三男は、
生後一年でなくなりました。

乃木希典の長男

乃木希典の子供について、
整理しましょう。

長男 乃木勝典 陸軍歩兵中尉
次男 乃木保典 陸軍歩兵少尉
長女 乃木恒子
三男 乃木直典

乃木希典の長男、
乃木勝典は1879年生まれ。
陸軍士官学校を卒業し、
陸軍軍人になりました。

陸軍歩兵中尉に累進し、
乃木希典の長男、
乃木勝典は日露戦争に出征し、1904年に戦没。

未婚で子供もいませんでした。

乃木希典の次男

乃木希典の次男の
乃木保典は、
1881年に生まれました。

乃木希典の次男も
陸軍士官学校を卒業し、職業軍人になっています。

乃木希典の次男、
乃木保典も日露戦争に出征し、1904年に戦没。
陸軍歩兵少尉でした。

乃木希典の息子は2人とも、
未婚で子供がなく、戦没してしまったので、

乃木希典の血統は断絶したのでした。

乃木希典の子孫は?

なお
乃木希典の子孫と家系図について、
もう少し詳しく書いていきますと、

乃木希典の没後、
乃木伯爵家は、
旧長州藩毛利家の一門である、
旧長州豊浦藩主の子爵毛利元敏の息子の、
乃木元智によって相続されます。

乃木元智は、乃木希典とは血縁上なんの関係もないのですが、
選定によって、
乃木伯爵家の後継者となったのでした。

しかし、
乃木元智は、
二男二女がいたものの、
爵位を返上し、乃木から毛利に改姓しているので、
ここに
乃木希典の子孫(養子の系統ですが)の家系は
断絶することになります。

というわけで、
乃木希典の家族や家系図に関することを、
書いてみました。

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