加山雄三さんの家系図とファミリーヒストリー 

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Skitterphoto / Pixabay

加山雄三さんのファミリーヒストリー

2015年4月10日放送のNHK総合テレビ『ファミリーヒストリー』では、俳優の加山雄三さんの先祖を調べていました。

こちらの記事では、番組を見て、感じたことをまとめながら、家系図作成全般に関することにも触れてみたいと思います。

きっと、みなさんの先祖調査にも参考になるはずです。

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加山雄三さんの先祖とは?

加山雄三さんの本名は、池端直亮(いけはた・なおあき)といいます。
加山雄三さんの父は、戦前の二枚目スター・上原謙です。
ちなみに上原謙の本名は、池端清亮(いけはた・きよあき)です。
池端家のルーツは、鹿児島にあるということしか知らないという加山さん。
今回は、どのようなファミリーヒストリーが明かされるのでしょうか?

鹿児島の親戚宅の調査からはじまる

番組の冒頭では、鹿児島市内の園田清高さん宅の取材から始まります。
加山雄三さんの祖父の出生地が、現在の園田さん宅にあたるのだそうです。

園田清高さんは、加山雄三さんの「又従弟(またいとこ)」にあたります。
加山雄三さんの祖父・池端直武の弟・清彦が園田家に養子に入っているので、園田姓になっているようです。

なぜ、祖父の出生地が明らかになったのかというと、戸籍調査をしたからです。

参照記事
戸籍調査から家系図を作成する方法

園田家の調査で分かったこと

園田さんは、墓地の改修をしたときに、古い先祖の記録がたくさん出てきたので、それをメモにとっておいたようです。

そこには、江戸時代後期のご先祖の名前が記されていました。
園田さんは、「これを調べれば、何か分かるんじゃないかなあ」と言っておられました。
こうしたことを、本家の方がされていると、とても頼りになります。

ここでは、家系調査の基本である、本家宅の調査墓地の調査を済ませたことになります。



城下町の古地図調査で、先祖を調べる

その後、番組取材班は、鹿児島城下の古地図を見に行きました。
安政年間(1854~1860)に作られたもののようです。
城下町の地図を見ると、「池端喜七郎」と書かれた屋敷がありました。
古文書特有のくずし字で書かれているので、かなり読みにくいですが、はっきりと書いてありました^^;

武士の家系調査では、極めて有効

このように、武士の先祖を調べるには、城下町の地図が有効なツールになってきます。
城下町の地図には、居住者の名前が書かれているので、簡単に特定できるのです。
地図を見ると、敷地面積160坪と書かれています。

武士の身分は、屋敷の広さに比例するので、城下町の地図を見れば、どれくらいの身分かも分かるのです。
これくらいの敷地ですと、「下級武士」というくくりになるのでしょう。

もっとも、鹿児島藩は、もっと下級の武士がたくさんいたので、池端家は鹿児島藩士のなかでは、「上級武士」の部類に入るのかもしれません。

参照記事
城下町の地図調査

先祖の住んでいた場所について

江戸時代の池端家があった敷地が、現在、園田家の住居になっているようです。
だから、加山雄三さんの祖父は、ここで生まれたのですね。

一般的に、農民の家だと、江戸時代のご先祖が住んでいた場所に現在でも住んでいるケースは多いですが、武士の場合だと珍しいと思います。
武士は明治時代になって、食い扶持を奪われたので、他の土地に職を求めて移動したケースが多いです。



先祖の言い伝えが残されていた!

また、加山雄三の又従弟・園田清高さんによると、池端家には先祖の言い伝えが残されていて、「大隅半島の根占(ねじめ)から、鹿児島に移った」とされているようです。
参照記事
先祖の職業の調べ方/本家の位置を調査しよう!

参照記事
先祖についての言い伝えを確かめたいが…

古い墓地の調査

言い伝えを検証すべく、取材班は大隅半島の根占に向かいました。
根占には、言い伝え通り、池端家の先祖代々を祀った墓地がありました。
田舎の墓地なので、寺院ではなく、丘の中腹のようなところにあるように見えました。

番組では、すんなり墓地を見つけたような感じになっていましたが、実際に見つけるのは、かなり大変だったと思います。

池端家のルーツが明らかに!

墓地には、先祖に関する大きな手がかりがありました。
立派な墓誌が彫られ、そこには「平清盛末裔」と書かれていたのです!

池端家の先祖は代々、「清」の字を継いできました。
加山雄三さんの祖父は「清武」ですし、父は「清亮」です。
こういうのは「通字」というもので、家柄に誇りを持っている証拠とも言えます。

きっと加山さんのご先祖は、「オレたちは、平清盛の子孫なんだぞっ!」という気概を代々受け継いでいらしたのだと思います。



加山雄三さんの母方のファミリーヒストリー

また、番組では加山雄三さんの母方の先祖についても、触れていました。
加山雄三さんの母は、小桜葉子という女優さんです。

小桜葉子は、本名を具子といい、500円札の肖像になった、岩倉具視のひ孫にあたります。

岩倉具視の孫である岩倉具顕と、衆議院議員・江間俊一の娘・光子のあいだに、生まれたのが加山雄三さんのお母さんにあたるわけです。
つまり、加山雄三さんは、岩倉具視の玄孫にあたるのです。

そして加山雄三さんのファミリーへ

しかし、加山雄三さんの母方の祖父母は、夫婦仲がよくなかったようです。
結局、離婚して、祖母が幼い母を連れて岩倉家を出て行きました。

私の調べたところによると、加山雄三さんの母・具子さんは、実家の江間家に養子入りされていました。

このあたりのことはファミリーヒストリーでは触れていませんでしたが、いろいろな事情があったのでしょう。
そして、成長して女優となり、俳優・上原謙と出会い、結婚し、加山雄三さんが生まれた、というわけです。

ちなみに加山雄三さんの奥様も、女優の松本めぐみさんで、娘さんはタレント、息子さんは俳優をされています。
芸能人一家ですね!

今回のファミリーヒストリーも素晴らしい内容でした。
また、次回も楽しみにしたいと思います^^

加山雄三の妻は?娘や息子の結婚・大学は慶應?父親・母親・孫は?

加山雄三の自宅は成城学園前に住所?スキー場経営で売却?身長・体重は?

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