庄屋・名主ってどういう意味?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 0
スポンサーリンク

AGP / Pixabay

庄屋・名主・肝煎

家系調査をしていると、「庄屋(しょうや)」・「名主(なぬし)」という役職の人が良く出てきます。
そもそも庄屋や名主とは、どういった人たちなのでしょうか。
説明していきたいと思います。

庄屋とは、江戸時代にもうけられた村役人の役職の一つです。
中部地方・関東地方では名主、東北地方では肝煎(きもいり)と言います。

ちなみに庄屋の下には年寄(としより)、百姓代(ひゃくしょうだい)が置かれ、三つ合わせて「村方三役」と呼ばれました。
江戸時代の村落にあっては、村一番の名士でした。

スポンサーリンク

庄屋は両義的な存在

庄屋は、代官から村の管理を任される面と、村人たちの利益を代表する面を、両方持っていました。
支配者としての面と、被支配者としての面を、両方持っていたというわけです。

身分としては「農民」ですが、一般農民よりか上位の階層に属していました。
庄屋は、武士よりも経済的に裕福だったものも多いです。
庄屋は広い屋敷に住み、広大な農地を保有するものも多くいました。
また、文書の作成に携わるという仕事柄、村を代表する知識人でもありました。

庄屋は名門家系の出身

江戸時代に庄屋を務めた家系は、もともと名門家系だったことが多いです。
戦国武将の有力な家臣が、江戸時代に入って庄屋となったケースは、かなり見られます。
庄屋を務めた家であれば、先祖伝来の家系図が残っていることも珍しくありません。

庄屋の多くは世襲制

庄屋は、代々世襲していく場合が多かったようです。
庄屋を務める家の当主が年少だった場合には、代理のものを立てることもありました。
また、世襲制ではなく、持ち回りで庄屋を選出する場合もありました。
庄屋の選出は、年代や地域によって変わってくるので、それぞれの地域の歴史を調べる必要がありそうです。

庄屋は、明治維新後も、村の有力者として村政に関わりました。戸長(こちょう)、村長といった役職を務め、村一番の有力者として活動しました。

庄屋宅を調べて、家系調査へ

庄屋は、江戸時代を通じて、検地帳・宗門人別帳などの文書の作成にあたりました。
現在でも庄屋の子孫の家には、蔵などにこうした古文書が多数残っていることもあります。

これらの資料は、家系調査をする上で、必須となるものです。
家系調査をするならば、まず先祖が住んでいた村の庄屋を探すことです。

関連記事
江戸時代の農民の階層/地主・自作農・小作農
宗門人別帳の保管場所を探す方法

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする