浅田彰の父親と母親、実家の家族は?自宅の場所は京都市?家系や先祖は?
批評家の、
浅田彰さん。
1983年に『構造と力』を著し、
中沢新一さんとともに
1980年代にはニューアカブームを巻き起こしました。
浅田彰さんは、
哲学、現代思想、経済学、文学・美術・音楽評論など
とても幅広い分野について、
批評活動をおこない、
その博識ぶりと明晰な批評眼は、
まぎれもなく日本を代表する知性であります。
この記事は
そんな
浅田彰さんの
「父親と母親、家族は?実家や自宅の場所は?家系や先祖は?」
といった話題についてお送りします。
浅田彰の出身地は神戸市?実家の場所は?
はじめに
浅田彰さんの出身地や、
実家の場所について見ていきます。
浅田彰さんの出身地は
兵庫県神戸市です。
浅田彰さんは、
関西弁をお話にならないですが、
関西出身なんですね。
浅田彰さんは
子供時代を通じてずっと
神戸市に実家があったわけではないようで、
大阪府枚方市に実家がありました。
浅田彰の自宅の場所は京都市?
浅田彰さんの現在の自宅の場所は、
どこなのでしょうか。
浅田彰さんは、
東京や、海外に行かれる機会も多いようですが、
自宅はずっと関西にあるようです。
浅田彰さんの現在の自宅の場所は
京都市内にあります。
浅田彰さんは、
京都大学に勤務されたのち、
現在は京都造形芸術大学に勤務されていますので、
自宅から交通の便も良いのかもしれません。
浅田彰さんの自宅は
北野天満宮の近くだそうです。
北野天満宮の住所は
京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町で、
とても環境の良い場所にあります。
浅田彰の先祖と家系は?空海?
それでは
浅田彰さんの実家の家系図や、
ご先祖に関する事柄へと筆をすすめてまいります。
浅田彰さんの先祖は、
香川県にルーツがあります。
そういえば、
浅田彰さんの先祖は空海だ、という話を
四方田犬彦さんがかつて、お話されていたそうですが、
空海の出身地は
現在の香川県善通寺市なので、
ひょっとしたら
浅田彰さんの先祖と、空海にも
何か関係があったかもしれませんね。
浅田彰の先祖は、香川県牟礼町の庄屋
浅田彰さんの先祖は、
現在の香川県高松市、
以前は牟礼町といわれた場所に、代々住んでいたそうです。
彫刻家の
イサム・ノグチの美術館があることでも、
有名な町です。
浅田彰さんの先祖は、
香川県牟礼町の庄屋だったそうです。
浅田彰さんの先祖は
庄屋でありながら、医者のようなこともしていたそうです。
江戸時代の医者というのは
現在のような国家資格者による専業ではなく、
僧侶や庄屋などの、
村の知識人が、医者の仕事をしていたこともあったようです。
浅田彰の祖父の職業は、医者
それから
浅田彰さんの祖父についてです。
浅田彰さんの祖父は、
明治21年に香川県で生まれました。
岡山の六高から、
東大医学部に進学。
産婦人科医師であり、
松山の日赤病院に勤務し、
産婦人科医長を務め、
日赤愛媛病院副院長まで務められました。
浅田彰の父親の兄弟
浅田彰さんの祖父の子供は
3人いました。
3人とも息子さんでした。
上から
浅田孝さん、浅田敏雄さん、浅田亨さんというお名前です。
浅田彰さんの父親は
3人兄弟の末っ子の、浅田亨さんです。
浅田彰さんの伯父さまたちは、
どのような方なのでしょうか。
浅田彰の伯父は、建築家の浅田孝
浅田彰さんの伯父の、浅田孝さんは、
1921年に生まれました。
旧制松山高校から東大建築学科に進学。
大戦中は海軍に所属しましたが、
戦後、東大大学院に学び、
建築家の岸田日出刀の研究室にいたそうです。
浅田彰さん編集の
『批評空間』では建築についての記事も多く、
建築家の磯崎新さんも出ていましたが、
浅田彰さんは、
伯父様が著名な建築家だったということで、
もともと建築に触れる機会が多かったのでしょうね。
浅田彰さんの伯父の浅田孝さんは、
丹下健三門下の建築家として、
たくさんの作品をのこしました。
横浜のこどもの国の設計が有名です。
浅田彰の伯父、浅田敏雄
続いて
浅田彰さんの2番目の伯父さまについてです。
浅田敏雄さんというお名前です。
浅田敏雄さんは、
東大医学部を卒業しますが、開業はせずに
医学者として大学勤務を続けました。
東邦大学学長を務められました。
浅田彰さんの伯父の
浅田敏雄さんは、生化学がご専門だったようです。
浅田彰の父親の職業は?実家は枚方市の浅田産婦人科
そして
浅田彰さんの父親についてです。
浅田彰さんの父親のお名前は
浅田亨さん。
1926年生まれです。
父親や2人の兄が学んだ東大には進学せずに、
京大に進学しました。
浅田彰さんの父親は、
京大医学部出身の産婦人科医師です。
浅田彰さんの父親は、
大阪府枚方市で、
浅田産婦人科医院を開業されていました。
浅田彰の母親の職業も医者
一方、
浅田彰さんの母親はどのような方なのでしょうか。
浅田彰さんの
母親は1926年生まれで、
大阪の医大を出て、産婦人科の医師になりました。
浅田彰さんの父親と同じく、
枚方市の浅田産婦人科医院で診療にあたられました。
浅田彰さんの母親は、
高齢になられると、
介護が必要になってきて、
浅田彰さんは母親の介護をされている、といった情報も見られます。
浅田彰の実家には、ミロの絵があった!
なお、
浅田彰さんといえば、
天才的な頭脳を持つことで有名ですが、
子供の頃からものすごい環境で、
お育ちになったようです。
浅田彰さんの父親は、
クラシック音楽の愛好者であり、
美術にも造詣が深かったようです。
浅田彰さんの実家には、
ジョアン・ミロの本物の絵が飾られていたそうで、
浅田彰さんは、
幼少期から現代絵画を見て育ちました。
浅田彰の父親と森暢
さらに、
浅田彰さんの父親は、
京大の学生仲間とともに、
美術史家の森暢(もり・とおる)を囲む会を
定期的におこなっていたようです。
森暢は、
日本美術の研究をしていた方ですが、
浅田彰さんは、
子供の時に父親に連れられ、その会合について行っていたそうで、
森暢の話を聞いていたといいます。
浅田彰さんが美術に造詣が深いのは、
子供の時からのようです…。
というわけで、
浅田彰さんの
「父親と母親、家族は?実家や自宅の場所は?家系や先祖は?」
といった話題についてお送りしました。