大正デモクラシーと戦前の二大政党制?政友会と民政党の違い
アメリカの二大政党といえば、
共和党と民主党です。
イギリスの二大政党といえば、
保守党と労働党です。
とくにアメリカ大統領選では、共和党と民主党の候補者による激しい選挙戦が、
メディアで大きく報じられますね。
実は日本にも大正時代、
いわゆる大正デモクラシーの気運のもと、
二大政党制の時代がありました。
この記事では、
大正から昭和初期の日本の二大政党制について、見ていきます。
政友会と民政党の支持層の違いは?
当時の二大政党は政友会と民政党(旧憲政会)です。
政友会は地方の地主層を支持層とし、保守的な政策方針でした。
民政党は都市部の中間層を支持層とし、比較的リベラルな政策方針でした。
政友会と民政党の政策と、
支持層の違いについては、
アメリカの共和党と民主党の関係に近いかもしれませんね。
大正デモクラシーで、男子普通選挙が実現
明治時代には
民主的な選挙が実施されていたとはいえ、
選挙権を持つものは高額納税者のみでしたので、
現在の民主主義とは程遠いものでした。
それが大正時代になると、
選挙制度改革が進み、
広く民衆に開かれたものになりました。
大正14年、満25歳以上の男子全員による普通選挙が実施されています。
女性の選挙権は、戦後になるまで実現せず
女性の選挙権獲得についても、この頃から議論がなされるようになりましたが、昭和初期以降、次第に軍部の力が強まってきて、大正デモクラシーによって高まった民主化への気運は、崩落してしまったのでした。
結果、女性がはじめて選挙権を得たのは、
戦後の昭和21年になってからのことです。
軍部の影響力が増し民主化が後退してしまった背景には、いろんな事情があると思われます。
大正デモクラシーの時代がもっと長く続けば、
日本の歴史はかなり変わっていたでしょう。