香淳皇后(昭和天皇皇后)の家系図や両親は?父親や母親、兄弟と実家?

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JillWellington / Pixabay

香淳皇后の両親や家系図は?実家・久邇宮と、父親や母親、兄弟姉妹、家族関係は?

昭和時代の
皇后陛下
香淳皇后(こうじゅんこうごう)。

本名は
良子(ながこ)さまでしたが、
メディア報道などでは
皇太后さま、
という呼称で、
定着していましたね。

香淳皇后は
歴代皇后のなかで、
最長の在位期間を保ち、
97歳という長寿に恵まれました。

この記事では
昭和天皇の皇后陛下である
香淳皇后(こうじゅんこうごう)の
「両親と実家・久邇宮家の家系図や、父親や母親、兄弟姉妹、家族構成」
といった事柄について
お送りします。

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香淳皇后のご実家と父親

香淳皇后の
父親や母親が
どういった方だったのか
といったことから、
見ていきます。

香淳皇后の
父親の名前は
久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう)
といいます。

香淳皇后の父親は、
昭和戦前までは、
皇族だった久邇宮(くにのみや)家
当主でした。

香淳皇后の
叔父(久邇宮邦彦王の弟)にあたるのが、
東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)元総理、
といったことも
よく話題になりますね。

香淳皇后の父親、
久邇宮邦彦王(くにのみやくによしおう)は、
陸軍の軍人で
陸軍大将でした。

香淳皇后の父親というと、
家系図上の関係
整理すると、

昭和天皇の義父であり、
今上天皇の立場からすると、
曾祖父ということになります。

香淳皇后の母親

そして
香淳皇后の母親は、
どういった方だったのか
ということを
見ていきましょう。

香淳皇后の
母親のお名前は
久邇宮俔子(くにのみやちかこ)さま、
といいました。

香淳皇后の母親は
旧薩摩藩主・島津家の、
島津忠義公爵の七女にあたります。

島津家といえば、
古くから鹿児島県で勢力を持った家系ですね。

香淳皇后のご実家、久邇宮家の家系図

それでは
香淳皇后の
ご両親について
見てきたので、

香淳皇后の
家系図を簡単に
整理しましょう。

久邇宮邦彦王(くにのみや・くによしおう)
明治6、久邇宮朝彦親王第三王子
明治24、久邇宮家を継承
陸軍士官学校、陸軍大学校各卒
元帥陸軍大将
近衛師団長、軍事参議官

妃・俔子(ちかこ)さま
明治12、公爵島津忠義七女

第一王子・朝融王
明治34
海軍兵学校第49期卒
海軍中将

第二王子・邦久王
明治35
陸軍士官学校35期卒
久邇侯爵家を創立

第一王女・良子女王
明治36
香淳皇后となる

第二王女・信子女王
明治37
伯爵三条西公正氏と結婚

第三王女・智子女王
明治39
京都一女出身
伯爵大谷光暢と結婚

第三王子・邦英王
明治43
臣籍降下し、
東伏見伯爵家を創設
東伏見慈洽(ひがしふしみ・じごう) と名乗り、
青蓮院門跡となる

香淳皇后のご兄弟と姉妹の構成

香淳皇后の
ご実家の家族構成です

香淳皇后の
兄弟姉妹は
3男3女の
合計6人という構成です。

香淳皇后の
長兄、久邇宮朝融王は、
ご実家である
久邇宮家を継ぎました。

そして
香淳皇后の
次兄、邦久王は、
臣籍降下(皇族から離脱すること)して
華族となり、
久邇邦久侯爵となりました。

また、
香淳皇后の弟にあたる、
邦英王は、
臣籍降下して、
東伏見伯爵家を創設します。

邦英王は
青蓮院門跡となり、
東伏見慈洽(ひがしふしみ・じごう) さん、
と改名されました。

香淳皇后のご姉妹は華族と結婚

それから
香淳皇后の
姉妹については、
妹が2人いました。

香淳皇后の妹、
信子女王は、
旧公家の、
三条西公正伯爵と結婚。

そして
もう一人の妹、
智子女王は、
大谷光暢伯爵と結婚しています。

香淳皇后の
ご実家の家系図は、
旧皇族なので、

親戚関係は、
華族の方ばかりでした。

というわけで、
昭和天皇の皇后陛下である
香淳皇后(こうじゅんこうごう)の
「両親とご実家・久邇宮家の家系図や、父親や母親、兄弟姉妹、家族構成」
といった事柄について、
お送りしました。

美智子さまの実家や父親、母親、兄弟、家系図は?日清製粉?正田醤油?

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