宮本亜門さんの実家のファミリーヒストリー

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10-89 / Pixabay

宮本亜門さんの先祖

2016年2月26日放送の『ファミリーヒストリー』では、
演出家・宮本亜門さんの家系が取り上げられていました。

いつものように、
家系調査の専門的知識を織り交ぜながら、
番組の感想を書いていきます。

家系図作成調査・先祖調査というものが、
どのように進められるのかの参考にしていただければと思います。

なお、
宮本亜門さんの実家の喫茶店については、
こちらの記事をごらんください。

宮本亜門は喫茶店が実家で銀座に?自宅は沖縄のカフェの近く?コーヒー?

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香川県にルーツを持つ宮本家

宮本亜門さんは、1958年東京・銀座で生まれました。
宮本亜門さんは、「先祖は香川県の出身ということだけしか知らない」といいます。
香川には付き合いのある親戚もいないという事なので、先祖について詳しいことは全く知らないのだそうです。

郷土に伝わる、先祖の伝承

番組取材班は、香川県を訪れ調査します。
宮本亜門さんの戸籍調査をすれば、先祖の本籍地や住んでいた場所が明らかになりますので、番組取材班は、宮本亜門さんの高祖父の情報を割り出しました。
香川県坂出町に、宮本家の先祖は住んでいました。

そして、番組取材班は聞き取り調査をおこない、郷土史家を訪ねます。
すると、香川県坂出町は、1156年に起こった保元の乱で敗れた崇徳天皇が流罪となって身を寄せた所であり、その時に一緒についてきた武士に宮本姓のものがいたといいます。
こうした伝承があるだけで、この武士が、宮本亜門さんの先祖と決めつけるには証拠が乏しいので、さらなる調査をする必要があると思います。

亜門さんの高祖父・宮本源次さんは坂出町で、農業を営んでいました。
麦わら帽子を作る副業をしていて、繁盛していたといいます。
農家といっても、このように副業をしていたケースは結構多いです。

宮本俊三さんのファミリーヒストリー

そして番組は、宮本亜門さんの祖父・宮本俊三にフォーカスされていきます。
宮本俊三は明治28年(1895年)に生まれました。
勉強が良くできたので、香川県立商業学校から、早稲田大学商学部に進学しました。
学生時代に偶然出会った女性に恋をしてしまいます。
相手は、四人の子どもを持つシングルマザーでした。

若い男性ということで、初めは当惑していました。
それでも、あまりに俊三が熱心なので、やがて一緒に暮らすようになります。

俊三は、大学を出ると大倉鉱業に入社します。
大倉鉱業は、大倉財閥の中核企業でした。
大倉財閥が創立した東京経済大に、会社資料が残されていて、それを番組は探し当てました。
そこには、俊三さんの住所録が載っていました。

そして、昭和2年(1927年)、長男・亮祐が生まれました。この亮祐が、のちに宮本亜門の父親となる人物です。
その後、俊三は取締役にまで出世します。
戦後の財閥解体で、職を退きますが、その後、会社を立ち上げ、朝鮮特需で大きく資産を増やしました。

宮本亜門さんの祖父の履歴調査

宮本俊三さんについて、実際に調べてみると、記録が見つかりました。
その結果、分かったことを、書いてみます。

宮本俊三
明治28年3月生まれ。
香川県、宮本新五郎の長男。
大正6年、早稲田大学商科卒、大倉鉱業に入社。
銑鉄掛、主任銑鋼課長を経て、
昭和18年3月、取締役に選任される。
日満鉄鋼販売(株)取締役・南定炭礦(株)監査役を兼任。

その他、家族情報なども得られたのですが、個人情報ということもあって、こちらへの掲載は控えます。

宮本俊三さんのように、会社の取締役といった地位にいらっしゃった方であれば、記録が見つかるはずです。

宮本亜門さんのお父さんについて

その後、番組は宮本亜門さんのお父さんのファミリーヒストリーに入っていきます。
父・宮本亮祐さんは、慶応義塾大学を出て、父の経営する会社に入りました。
いずれ会社の後継者にするつもりだったといいます。

しかし、ある日、亮祐さんは、上野のすっぽん料理店にでかけて、店の女将に一目惚れをしてしまいました。
相手は、粂川須美子という女性で、亮祐より一回り年上で2人の子供が居ました。
亮祐さんは、彼女と結婚したいと、父を説得しようとしますが、うまくいきませんでした。
その結果、会社を辞めて、自活することになりました。

結局、宮本亜門さんの祖父母も両親も、似たように年上で子持ちの女性を好きになったのですね。
血は争えないということでしょうか。

宮本亜門さんのお母さんの家系

宮本亜門さんの母・須美子さんの過去についても番組は取材しています。
大正4年(1915年)に文京区の証券取引業者の家庭に生まれました。
須美子は、銀座の劇場で、松竹歌劇団(SKD)のレビューダンスに魅了され、自分も舞台に上りたいと思うようになります。
15歳のときに、見事SKDに合格しました。

しかし、昭和恐慌の影響で、家業が倒産してしまったのが原因で、せっかく入ったSKDを辞めてしまうことになります。
その後、須美子は知り合った男性と結婚し2人の子供をもうけたものの、離婚しました。
そして、上野のすっぽん料理屋で女将をしていた時に、客として来ていた男性が、宮本亮祐であったということです。
この二人のあいだに生まれたのが、宮本亜門さんです。

ファミリーヒストリーの醍醐味を実感

こうして眺めてみると、非常に深い“家系のつながり”とでも言うべきものを、感じますね。
親子そろって、年上のシングルマザーに恋をした、祖父と父。
そして歌劇に惹かれていた母と、のちに演出家として成功した宮本亜門。

このような“つながり”を見つめる作業そのものが、ファミリーヒストリーなのだと思います。

参照記事
宮本亜門は喫茶店が実家で銀座に?自宅は沖縄のカフェの近く?コーヒー?

ファミリーヒストリーの調査方法

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