猶子の意味と、養子との違い

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Unsplash / Pixabay

猶子と養子の違い

養子というのは、現代でもありますね。
では、猶子(ゆうし)は、どうでしょうか?
おそらく、見たこともない言葉だという方も多いと思います。

猶子とは、江戸時代まで存在した制度です。
猶子とは、他人と擬制的(ぎせいてき)な親子関係を結ぶ制度のことです。
つまり、生物学的には親子関係にはないのですが、社会的に親子関係を認めるということです。
しかし、これだけの意味だと養子と同じ意味になってしまいますね。

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猶子の意味

実際には、猶子という言葉は、養子という言葉と区別されて用いられないこともありました。
しかし、敢えて違いを見出すと、以下のように言えます。
養子の場合は、家督相続を前提として行なわれる場合もあります。
後継ぎがいないので養子になって家を継ぐといったケースです。これは現在でも見られる形態ですね。

それに対して猶子は、家督相続を前提としないで、親子関係を結びます。
猶子となった場合、猶子入りした先の父を、猶父(ゆうふ)と言います。養子の場合は、養父と言いますよね。
猶父は、後見人のようなもの、と考えていただいても良いと思います。

豊臣秀吉は猶子となることで、関白になった

他人と親子関係を結ぶことにより、自らの家柄を高め、箔をつけることができるのです。
例えば、豊臣秀吉は、関白・近衛前久の猶子になることで、関白に就任できました。
現代であれば、無意味な制度のように思えますが、当時の人とは、感覚が異なるのです。

戦国時代や江戸時代では、実際は誰の子かといった事はあまり重要なことでは、ありませんでした。
それよりも、誰の子どもとして認められているのかという事のほうが、重要なわけです。

養子や猶子といった制度を通じて、擬制的な親子関係を構築し、自らの出自に箔をつけることに役立ったと言えます。

戦前でもこうした制度はあった

例えば、家柄が釣り合わない相手と結婚をする場合には、あいだに仮親を立て、その家の養子となってから、結婚します。

もちろん、仮親の家は、相手と釣り合うクラスの家が選ばれます。
実際このようなことは、戦前でも行われていました。
戸籍には書かれていないですが、このような慣習が存在したのです。

また、戦前においては、「猶子」という言葉は戸籍に見られないので、養子制度を猶子のような形で利用している場合もあります。
一時的に養子となっている場合には、このようなケースも考えられます。

先祖を調べていて、一時的に養子になっている場合には、こうしたことも考慮してみてください。
また、古い家系図を見ていて、猶子という言葉が出てきたときには、その意味をよく理解しましょう。

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