戦前の中小企業
現在、日本には、多くの中小企業があります。
全企業中の99.7%は中小企業と言われています。
戦前にも、多くの中小企業がありました。
現在でもそうですが、中小企業は、一族で役員ポストを占め、同族的な色彩の強い企業が多いです。
戦前の合名会社とは?
事業者は、株式会社を設立して、経営にあたりました。
事業が成功して、事業が多角化すると、いくつもの株式会社を設立します。
事業の規模が大きくなると、さらに「合名会社」を設立します。
合名会社という企業形態は、現在もあります。
しかし、あまり見かけませんね。
実は、現在とは違って戦前には、多くの合名会社が設立されたものでした。
株式会社と、合名会社との違いは、経営者の責任の範囲です。
株式会社の場合、経営者が大株主となり、株式の持分に応じて有限責任を負います。
これに対して、合名会社では、経営者が無限責任を負います。
戦前の合名会社は、持株会社だった
戦前における合名会社は、持株会社として機能を果たしていました。
例えば、三井財閥は三井合名会社を設立し、古河財閥は古河合名会社を設立していました。
このように財閥企業は、合名会社を通じて、傘下の関連企業を支配しておりました。
今風に言えば、ホールディングスといったところでしょうかね。
戦前の企業を襲った、昭和恐慌
戦前の企業を襲った、最も大きな不況は、昭和恐慌です。
昭和恐慌は、昭和5年(1930年)に起こりました。
アメリカの経済危機によって引き起こされた、世界恐慌が日本にも、影響を及ぼしたのです。
昭和恐慌の影響は凄まじく、隆盛していた会社も倒産に追い込まれました。
日本の企業史を見つめた場合、昭和恐慌で、大きな断絶があります。
会社が何十年と存続するのは、ただでさえ大変厳しいものです。
企業の寿命は30年と言われています。
何世代にも渡って受け継がれる企業は、とても少ないのです。
昭和恐慌という外的要因によって、経営が立ち行かなくなった会社は、非常に多いです。
別の言い方をすると、昭和恐慌を乗り越えた会社は、相当、体力のある会社ということができると思います。
企業が存続するのは難しい
その後も、企業にとって苦難の時代が続きました。
昭和恐慌の後には、戦争の時代がやってきます。
太平洋戦争では、大規模な戦災被害がでました。
戦争が終わってからは、ハイパーインフレになりました。これによって、現金は紙屑になりました。
無事、こうした事態をくぐり抜けられた企業であっても、戦後の産業構造の変化のなかで、多くの会社が廃業を余儀なくされました。
現在にいたるまで、戦前から脈々と存続している企業はそれほど多くないと思います。
戦前の我が家が、会社経営をしていたら…
さて、戦前のご先祖は、工場を持っていたとか、会社を経営していたといった場合には、どのようにして、当時の我が家の様子を調べられるのでしょうか?
会社が存続していれば、その会社をあたれば、古い資料もあると思います。
しかし、会社自体が潰れてしまっていた場合は、調べる方法はあるのでしょうか?
戦前の企業経営者の記録は残っている
それなりの規模で、事業を展開されていらしたら、戦前のご当主の資料が出版物などに見つかるのではないかと思います。
公務員ではないので、行政文書にお名前が見られることは少ないと思われますが、地域姓の高い文献を調べていけば、何かしらの手がかりが得られるのではないでしょうか。
みなさんのお祖父さまや、曽祖父さまといったご先祖が、戦前に会社を経営されていらしたのでしたら、しっかりと調査しておくことをおすすめしたいと思います。