戦前の銀行員という職業
銀行員という職業は、他の会社員とは、いくらか異なる要素があるように思えます。
銀行員をとりまく言葉を見ると、そうしたことを端的に表しているのでは、ないでしょうか。
いくつか例を示してみましょう。
一般の会社では、従業員のことを、「社員」と言いますよね。
銀行では「行員(こういん)」と言います。
そして、一般の会社では会社に入ることを「入社」と言うのに、銀行では「入行(にゅうこう)」と言います。
また、一般の会社ではトップのことを、「社長」と言うのに、銀行では「頭取」と言います。
どうして、このような業界用語があるのかは分かりません。
こうした言葉の用法の違いは、銀行員という職業の特殊性を示しているようにも思えます。
また、「銀行員」と似たような言葉に「銀行家」といった言葉もありますね。
こちらは銀行の経営者クラスを指す言葉です。
英語にすると、バンカーという言葉もあります。
バンカーという言葉は、投資銀行のエリート行員のことを指すようです。
戦前のエリート、銀行員
ともあれ、戦前の銀行員という職業について見ていきましょう。
当時の日本において、東大法学部の出身者が民間企業に入る場合、銀行を選ぶものが多かったようです。
官庁に入る者が一番のエリートコースでしたが、それに準じるエリートコースでした。
戦前の銀行で有名なところをあげてみますと、日本銀行、横浜正金銀行、日本興業銀行、第一銀行、日本勧業銀行、三井銀行、三菱銀行、住友銀行などがあります。
現在は、いろんな銀行が合併してしまって、銀行の総数は少なくなってしまいましたが、戦前は実にたくさんの銀行があったといいます。
東大出身者が銀行業界では出世コースのトップを走るわけですが、他にも東京高商(現在の一橋大)、慶應、早稲田や、その他の高等商業学校などの出身者も幹部職員として広く活躍していました。
戦前における銀行員の家庭環境
戦前を通じて、銀行員の給料はかなり高かったのです。
官僚や軍人、大学教授などよりも高給でした。
したがって、銀行員の家庭は裕福であり、子どもの教育にもお金を使いました。
私立中学や、有名な女学校に子どもを進学させ、高い教育を受けさせました。
戦前のご先祖が、銀行員だったという家系の方は、もともと恵まれた環境にお育ちになられた方が多いように見受けられます。
銀行員の家系調査は?
さて、銀行員のご先祖の調査については、どういった資料を当たればよいのでしょうか?
銀行員は、公務員ではないために公文書にお名前が出てくることは、ほとんどありません。
位階や勲章ももらえません。
したがって、大手銀行の支店長クラスか、ほかの企業に移って役員になっている年代の、会社の資料を見ていくことになります。
官僚や軍人に比べると、残っている資料は少ないかもしれませんが、充分、期待が見込める調査だと思います。
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