中学校教師だった先祖の家系図作成調査

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DGlodowska / Pixabay

戦前の旧制中学と教師

戦前の、中学校の教師とは、どういった職業でしょうか。
同じ中学校教師といっても、現代のそれとは大きく異なります。
というのは、まず中学校それ自体が、戦前と戦後で大きく異なるものだからです。

戦前の中学校は、5年制の教育機関でした。
男子のみが進学を許可されます。
戦前の日本においては、中学校への進学率は極めて低く、昭和初期の時点でも約8%ほどです。

国民の多くは、尋常小学校のみで学業を終えていた時代です。
中学校の学費は、とても高額だったので、一般家庭においては、進学させることは不可能でした。
したがって、中学校に進学できる者の多くは、経済的に裕福な家庭の子弟でした。

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『坊っちゃん』に見る中学校教師

そうなると、こうした中学校の先生というのも、やはり特権的な人たちになってきます。
当時、中学の教員というのは、帝国大学の文学部を出た学士の典型的な就職先でした。
※帝国大学…現在の東大、京大、東北大、北大、九州大、大阪大、名古屋大のこと

例えば、文豪・夏目漱石がそうですね。
漱石は、高田馬場の名主の息子であり、帝国大学英文科を出た秀才です。
漱石の『坊っちゃん』では、松山の中学校の教員たちの様子が描かれています。

『坊っちゃん』の登場人物の“赤シャツ”のイメージが、当時の中学校教師の実態に近いのではないかと思います。
赤シャツは、少々、いじわるなキャラクター設定ですが、プライドが高く、西洋かぶれな点は、当時のインテリ教師の傾向をよく表していると思います。

帝大と高等師範学校は、ライバル関係

また、こうした帝国大学出身の先生に対し、高等師範学校出身の先生も多くおりました。
高等師範学校は、東京と広島にあり、それぞれ現在の筑波大学と広島大学の前身にあたります。

高等師範学校と、帝国大学はライバル関係にあり、校長などの主要ポストをめぐって、派閥争いを繰り広げることも多かったようです。
高等師範学校出身の先生は、帝大出身の先生たちとは違って、苦学して中学校の先生になった方が多いです。

あなたのご先祖に中学校教師がいたら…

戦前のご先祖が、中学校教師だったという方は、このあたりを注意してみる必要があると思います。
帝大を出て教師になったのか、それとも高等師範学校を出て教師になったのか。
そうした経歴を見つめることによって、ご先祖様の境遇を理解することができると思います。

ご先祖が中学校の教諭をされていたのであれば、しかるべき資料に記録が残っております。
勲章や位階をもらっている場合も多いです。
家系調査を進める上で、ご先祖に中学校の先生がいらしたら、是非、しっかりと調査しておきたいものです。

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