明治から昭和戦前までの大学文学部での僧侶家系の子孫の在籍者は多い

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rmsep4 / Pixabay

戦前の大学文学部の学生は、僧侶の子孫が多く、寺院家系が果たした人文科学への貢献は大きい

江戸時代には固定された身分だったものの、

明治時代以降の近代化は、大学や専門学校に進むことで階級移動が行われたことは、

よく知られています。

しかしながら、

江戸時代の支配階層は、明治時代以降も教育を通じて、

支配階層についていたという事も事実です。

明治時代から戦前においては、

官僚と軍人が特権的な身分であったのですが、

これらの職業につくものは、

武士の子孫が多かったのでした。

武士の子孫は、あらゆる職業で幅を利かせましたが、

教育界と、人文科学の研究分野においては、

僧侶の子孫が、大きな活躍を示していたことは、これまでにあまり指摘されていません。

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江戸時代の僧侶の身分は、特権的地位

江戸時代、僧侶は支配階級として遇されていました。

聖職者の地位が高いのは、日本だけではなく世界的にみられる事象ですが、

とくに

江戸時代の日本においては

寺請制度といって寺を通じた統治システムを採用していたこともあり、

寺および僧侶の地位はとても高いものでした。

僧侶の身分は、明治時代に低下し、大学の文学部は僧侶の子孫が多かった

しかし明治時代になると、

廃仏毀釈といって僧侶の地位はかなり低下してしまいます。

また寺請制度も廃止され、僧侶の経済的基盤も脆弱なものになります。

明治時代には帝国大学が創立され、

近代の教育制度がととのいましたが、実学重視の風潮であり、

法学部や工学部といった学部の定員が多く、人気学部でもありました。

士族の子弟などは、法学部や工学部に進学するものが多く、

官僚や技術者となり、政治や経済、産業の中枢で活躍しました。

しかし僧侶の子孫は、もともとあまり実学志向ではなかったようで、

学問好きな方が多かったようです。

文学部に進学するものがとても多かったようです。

僧侶家系の子孫が、文学部の学問研究に貢献

東京帝国大学や京都帝国大学の文学部の東洋哲学科などは、

特に僧侶の子弟が多かったわけですが、

それ以外にも国文科、哲学科、教育学科、歴史学科などあらゆる専攻に、

僧侶の子弟が集まりました。

江戸時代には学問の自由がなかったので、

仏教学といった形でしか学問を追究できなかったのでしょうが、

明治時代以降は僧侶の子弟であっても、

既成の仏教学の枠組みを出て、自由に探究する姿が見られます。

僧侶の子弟が、明治以降の人文科学に果たした貢献は、かなり大きかったと言えるでしょう。

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