旧制高校とは
現在、高校は、全国に5000校もあるそうです。
これらの高校の起源となったのは、戦前の旧制中学や高等女学校です。
戦前の高校は、現在の大学の教養課程にあたります。
具体的に示すと、旧制第一高校は、現在の東京大学教養学部にあたります。
東京大学では、文科Ⅰ類、文科Ⅱ類、文科Ⅲ類、理科Ⅰ類、理科Ⅱ類、理科Ⅲ類と、分けて入学試験をおこないます。
例えば、文科Ⅰ類に入学すると、大学1年と2年のあいだは、「東京大学教養学部文科Ⅰ類」に所属することになります。
その後、大学3年になった時点で、本郷キャンパスにある「東京大学法学部」に進学します。
こうした東京大学の制度は、戦前の旧制高校の名残(なごり)なんですね。
早稲田大学や慶応義塾大学の文学部にも、似たような制度がありますが、大学全体で、このような選抜方法をとっているのは、東京大学だけです。
エリート養成機関だった旧制高校
さて、戦前においては、高校といえば、全国にほんの30校ほどしかありませんでした。
そもそも、同じ「高校」という言葉を用いているものの、戦前のそれと、戦後のそれとでは、大きく異なっています。
戦前の高校のことを、一般的に「旧制高校」といいます。
旧制高校といえば、戦前のエリート教育がおこなわれた機関として有名です。
みなさんは、デカンショなんて言葉、聞いたことありませんか?
デカンショとは、デカルト、カント、ショーペンハウエルという三人の哲学者の頭文字をとったものです。
旧制高校の学生たちのあいだでは、これらの哲学書を読むのが流行っていたのです。
旧制高校は男子のみの全寮制教育でした。
質実剛健で教養主義的な雰囲気は、イギリスのパブリックスクールに近いものがあるでしょう。
戦前の日本が、政治・経済界をリードする人材に事欠かなかったのは、旧制高校という教育機関があったからだと思います。
旧制高校の先生とは
さて、今度は、こういった旧制高校の先生というのは、どういった職業なのか見ていきたいと思います。
現在の高校の先生は「教諭」と言いますが、旧制高校の先生は「教授」と言います。
第一高校教授、新潟高校教授といったような肩書になるのです。
旧制高校の教授になるのは、やはり高学歴者です。
帝大の出身者がほとんどです。
高校の教授ともなると、奏任官(そうにんかん)といって、特別な身分のエリート公務員として扱われます。
調査に乗り出そう!
もし、高校教授をご先祖にお持ちになられた方であれば、家系調査をすると、公文書などに、ご先祖の記録を見出すことができると思います。
また、高校の教授は、教員であると同時に学者・研究者でもあるので、論文などが残っている場合も多いです。
調査をすすめていく上で、こうした資料が見つかると、嬉しいですね。
ご先祖が、高校教授だったという方は、是非、家系図を作成して、ご先祖さまと、自分との関係を見つめていただきたいと思います。
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