久本雅美さんの先祖
NHK総合テレビ、
『ファミリーヒストリー』では、
久本雅美さんの家系が、
扱われていました。
今回の放送から、
みなさんの家系図作成に、
役立ちそうな点だけを、
ピックアップして、
整理していきたいと思います。
徳島県にルーツ
久本雅美さんの先祖は徳島県をルーツとしています。
番組では、まず徳島県の公民館を訪ねています。
公民館に郷土史の資料があったので、訪ねたということでしたが、先祖調査で公民館を訪ねることは、ほとんどありません。
そこで、調査班が見つけたものは、久本雅美さんの曽祖父の兄にあたる、久本三吉という人物が載った郷土史料でした。
直系先祖ではない人物も調べよう
「曽祖父の兄」というのは、直接の先祖にはあたりません。
一般の家系調査では、「祖父・曽祖父・高祖父」といった直系先祖を調べるので、このような関係の親族の調査をおこないません。
しかし、「曽祖父の兄」のような関係の人物を調べるのは、とても重要なことです。
「曽祖父の兄」を調べていけば、当然、自分の直系先祖である「曽祖父」や「高祖父」の情報も入ってくるはずです。
一族のキーパーソンとなる人物を調べるのが、自分の家の歴史を振り返るうえで、とても重要なことなのです。
「曽祖父の兄」、「高祖父の弟」といったような関係の人物は、自分の直接の先祖ではないので、まったく調べないというのは、家族の歴史を見つめるうえで、良くないことです。
是非、関心を持って調べてみてください。
参照記事
一族のキーパーソンを探す
昔の出生届
久本雅美さんの祖父について、面白いエピソードが紹介されていました。
久本雅美さんの祖父は、二つ名前があったそうです。
戸籍上の名前は「宮吉」で、普段は「友三郎」と名乗っていました。
それには、以下のような理由があったのです。
当時、出生届を出すには、山を越えて隣村まで行かなければならなかったのでした。
山を越えていくのは大変なので、久本雅美さんの曽祖父は、隣村に行く知人に、出生届の提出を任せたのです。
「友三郎」という名前で、届け出てもらう予定でした。
しかし、知人は、山を越えて役所につく頃には、なんという名前で届け出るか忘れてしまったのです。
そこで、適当に「宮吉」という名前を考えて、それで出生届を提出してしまいました。
また、知人は、そうした事実を誰にも告げなかったため、久本雅美さんの祖父が、小学校に入学するまで、家族も本当の戸籍上の名前を知らなかったそうです。
今では考えられないことかもしれませんが、当時はこうしたことがよくありました。
「戸籍を取り寄せてみたら、先祖の名前が知っていた名前と違う」といったことはよくあります。
久本雅美さんの祖父の調査
番組では、久本雅美さんの祖父が通った小学校の卒業名簿が見せてもらっていました。
こうした資料は完全な内部資料です。
『ファミリーヒストリー』だからこそ、閲覧許可が得られた資料だと思います。
久本雅美さんの祖父・久本宮吉は、芝居をやっていて、女形として活躍したことが分かりました。
番組では、親戚宅を調査して、写真を入手しております。
こうした写真を集める作業というのは、一般の家系調査ではおこなわれないことですが、ファミリーヒストリーを作るうえでは、是非ともやっておきたいものです。
先祖の写真は、とても大切なものですので、きちんとデジタル化して保存しましょう。
参照記事
古い家族写真はデジタル化して保存する
久本雅美さんの母方の家系図
番組では、久本雅美さんの母方の先祖も探っています。
母方は木里家といいます。
徳島県海部郡美波町が本籍地です。
ちなみに、以前『ファミリーヒストリー』で調査された蛭子能収さんも、同じ美波町にルーツを持っています。
参照記事
蛭子能収さんのファミリーヒストリー
郷土史から先祖を調べる
郷土史を調べてみると、久本雅美さんの母方の曽祖父・木里弥三吉についての記載もありました。
木里弥三吉は、石工でした。
日露戦争に従軍し、乃木大将の指揮下の43連隊に所属していたのではないか、と番組では分析していました。
「石工」という職業柄、日露戦争でも要塞を破壊する工作に従事したのではないか、ということでした。
このように久本雅美さんの先祖は、父方・母方双方とも、郷土史に記載があったのです。
郷土史は、充実している地域もあれば、そうでない地域もあります。
久本雅美さんのように、郷土史に先祖の詳細な記載があるというケースは、珍しいと思います。
郷土史の調査は、先祖調査を進めるうえでとても重要なものですが、こうした調査は先祖の本籍地のある自治体まで行かなければ、おこなえません。
現地調査となると、時間も費用もかかりますので、なかなか敷居が高いと思いますが、得られるものはとても大きいです。