山階宮家の家系図と子孫は?山階宮晃、菊麿、武彦、山階芳麿の妻や子供、息子や娘は?
山階宮(やましなのみや)家。
戦前に存在した宮家のなかでは
比較的、古い家系です。
山階宮家といえば、
山階鳥類研究所という団体がありますね。
山階宮家の子孫である、
山階芳麿という方が創設した研究所です。
この記事では
山階宮家の家系図や子孫、
山階宮家の歴代当主の妻や子供、息子や娘に関する事柄を
整理していきたいと思います。
山階宮晃親王が幕末に、山階宮家を創設
山階宮家は、幕末の1864年に
山階宮晃親王(やましなのみや あきら)によって創設されました。
山階宮家の創設者
山階宮晃親王は、伏見宮邦家親王の長男でしたが、
仏門に入っていたところを、還俗して、宮家を立てたのでした。
山階宮晃親王の妻と子供は?
山階宮家初代当主、
山階宮晃親王の妻や子供、家系図について、
見ていきましょう。
山階宮晃親王 1816-1898
伏見宮邦家親王長男
国事御用掛、議定・外国事務総督男:山階宮菊麿王(後述)
山階宮晃親王には子供が一人います。
中条千枝子という方が
山階宮菊麿王の母親にあたります。
山階宮菊麿王の家系図
山階宮菊麿王が
山階宮家の2代目当主でした。
山階宮菊麿王の家系図を見てみます。
山階宮菊麿王 1873-1908
山階宮晃親王長男
海軍大佐先妻:山階宮範子
明治12、公爵九條道孝次女長男:山階宮武彦王(後継者)
二男:山階宮芳麿王
明治33
臣籍降下して山階侯爵家を創設長女:山階宮安子女王
明治34
侯爵浅野長武と結婚後妻:山階宮常子
明治7、公爵島津忠義四女三男:山階宮藤麿王
臣籍降下して筑波侯爵家を創設 筑波藤麿となる四男:山階宮萩麿王
明治39
臣籍降下して鹿島伯爵家を創設 鹿島萩麿となる五男:山階宮茂麿王
明治41
臣籍降下して葛城伯爵家を創設 葛城茂麿となる
山階宮菊麿王の妻は?息子たちは臣籍降下して華族となる
山階宮菊麿王の先妻は、
九条道孝公爵の娘でしたので、
山階宮菊麿王は、
昭和天皇の母親である貞明皇后と親戚関係になります。
(山階宮菊麿王の妻の姉が、貞明皇后)
山階宮菊麿王の、
後妻は、薩摩藩主島津公爵家の娘で、
後妻との間に生まれた3人の息子は、
それぞれ臣籍降下して華族となり、
筑波家、鹿島家、葛城家を興しました。
山階宮武彦王の妻と子供は?
山階宮家3代目当主は
山階宮武彦(戦後の皇籍離脱後は、山階武彦)です。
山階宮武彦王 1898-1987
山階宮菊麿、範子長男
海軍兵学校卒
海軍少佐妻:山階宮佐紀子女王
明治36、賀陽宮邦憲王の次女
山階宮家3代目当主でしたが、
山階宮武彦には子供はなく、
山階宮家は3代で、跡継ぎがないため途絶えました。
山階宮家から分かれた山階侯爵家
山階宮家は、3代で途絶えたものの、
山階宮家の3代目当主、
山階宮武彦の弟には、山階の苗字を持つ方がいます。
山階宮武彦の弟の、
山階宮芳麿は、臣籍降下して山階宮家から分かれて、
山階侯爵家を創設しています。
山階芳麿の妻と子供、家系図は?
山階芳麿の家系図で、
妻や子孫について見ていきましょう。
山階芳麿 1900-1989
山階宮菊麿王と範子の次男
臣籍降下して山階侯爵家を創設
陸軍士官学校卒
陸軍中尉
山階鳥類研究所を創設妻:山階寿賀子さん
明治37、旧小浜藩主家、伯爵酒井忠道二女
女子学習院出身養子:山階芳正さん
1927
山階芳麿は、
鳥類の研究をしており、
山階鳥類研究所を設立しています。
山階宮家の子孫の現在は?
山階芳麿には妻との間に、子供はいませんでしたので、
養子をとって、
山階家を継がせています。
山階芳麿の妹の浅野安子さんの息子、浅野茂松さんを養子にとり、
山階芳正と改名して、家督を継ぎました。
山階芳正さんの息子、
山階茂正さんが、現在の山階家の当主です。
しかし、
くり返しになりますが、
山階宮家自体は、すでに廃絶した宮家であり
山階宮家から分家してできた、
山階侯爵家が現在も続いているということになります。
というわけで、
山階宮家の家系図や子孫、
山階宮家の歴代当主の妻や子供、息子や娘に関する事柄を
整理してみました。