二条家の家系図と歴代の当主の妻と子供、子孫、家族は?現在は神主で冷泉家と親戚?
旧五摂家の名門家系、
二条家。
二条家は、
藤原氏の子孫として、公家社会の中枢に長らくあった家系です。
二条家は、
明治時代には、華族となり、
最高位の公爵となりました。
明治時代以降も名家として、
華麗な閨閥のなかにあったことも有名です。
この記事では
二条家(二條家)の家系図や子孫の現在や
歴代の当主についての話題をお送りします。
二条家の家系図!明治初期の当主、二条基弘は九条家からの養子
二条家の家系図で、歴代の当主の妻や子供、
子孫について、見ていきたいと思います。
二条家の家系図を
明治時代初期から追っていきましょう。
二条家の明治時代から昭和初期の当主は、
二条基弘です。
二條基弘は、
同じく五摂家の九条道孝公爵の弟であり、
二条家に養子入籍しました。
九条道孝は、
大正天皇の皇后である貞明皇后の父親なので、
二条基弘は、貞明皇后の叔父にあたります。
二条家は、皇族とも近い親戚関係にあるのです。
二条家当主・二条基弘の妻と子供、家系図は?
二条基弘を中心とした家系図です。
二条基弘 1859-1928
九條尚忠の八男、二条斉敬の養子となる
貴族院議員
公爵養母:二条恒子
1826
伏見宮邦家親王長女妻:二条洽子
1863
侯爵前田利為叔母男:二条厚基(後継者)
1883男:二条邦基
分家して二条男爵家を創設する長女:二条敬子
1900
男爵鍋島直明長男、鍋島直高と結婚娘:二条澄子
1906
三重、小津茂右衛門二男、小津茂郎と結婚娘:二条承子
1907
福井県 真宗山門徒派管長の平光円長男 平光寿と結婚息子:二条元基
1908息子:二条建基
1909息子:二条泰基
1911息子:二条敏基
1913息子:二条正基
1915息子:二条成基
1919息子:二条倫基
1921養女:二条誓康
1903
男爵二条正麿長女
得浄明院住職養弟:二条正麿
養弟:二条利敬
1875
三重県士族 宮橋みつ(慶光院盈子)の養子になり、慶光院利敬と名乗る養弟:二条支英
1876
男爵四条隆平の養子になって、四条隆英と名乗る養叔母:二条鑈子
1820
滋賀県、福田寺住職 息長沢祐の母となる
二条家の家系図は、
公家や名門寺院とのつながりが深いようで、
さすがに
旧五摂家の名門ですね。
二条厚基の妻と子供、家系図は?
それから次の代に移っていきます。
二条基弘は1920年に隠居をしたので、次男の
二条厚基が、当主となっています。
二条厚基 1883-1927
二条基弘二男
貴族院議員
公爵妻:二条泰子
1899 男爵島津長丸の娘
鹿児島二女出身養子:二条弼基(たねもと)
二条正麿の三男
二条厚基は、
子供がいなかったので、
いとこにあたる、
二条弼基さんが養子となり、
二条家の次の当主になりました。
二条弼基さんの家系図!妻と子供は?
二条家当主、
二条弼基さんの妻と子供、家系図について見てみましょう。
二条弼基さん 1910-1985
二条正麿三男として生まれ二条厚基の養子となり二条家当主となる
東北大学地質科、電気科卒
貴族院議員
逓信省電気試験所技師
郵政省電波監理局次長
松下電器勤務
伊勢神宮大宮司妻:二条恭仁子さん
1917、久邇宮多嘉王の三女
京都一女出身長女:二条昌子さん
1941
梅溪通明さんと結婚二女:二条和子さん
1943
飯田叡さんと結婚長男:二条基敬さん
1944
二条弼基さんは、
戦前から昭和にかけての、
二条家当主であり、戦前には貴族院議員、
戦後は、郵政省の官僚や松下電器の社員をしていました。
また、
伊勢神宮の大宮司をつとめていました。
二条家の現在の当主は、神主をされている
そして
二条家の現在の当主が
二条弼基さんの長男の
二条基敬(もとゆき)さんです。
二条基敬さんは、
二条家の第30代当主になります。
二条基敬さんも神職をされています。
五摂家の家系ですと、
九条家と鷹司家の子孫の方がやはり神主をされているので、
二条家も同じような伝統があるのだと思います。
二条基敬さんの妻と子供、家族について
二条基敬さんの妻は、
須美子さんで、
実家は公家の冷泉(れいぜい)家です。
美術史家で、池坊短大学長をつとめた
冷泉為人さんの娘さんです。
二条基敬さんの子供は、
娘さんと息子さんがいて、
娘さんの名前は絵美子さん、息子さんの名前は孝基さんというのだといいます。
というわけで、
二条基敬さん
二条家(二條家)の家系図や子孫、現在や歴代当主についての話題をお送りしました。