北白川道久氏の妻や娘と子供は?伊勢神宮宮司?北白川宮家の家系図と子孫!
北白川宮家は、
幕末の
北白川宮能久親王が、
東武皇帝として擁立されたこともあり、
歴史的な興味を非常に多くの人に与えています。
北白川宮家からは、
多くの著名な方が出ており、
最近ですと、
北白川祥子さんは、
女官長を長く勤めあげられました。
この記事では
旧皇族、
北白川宮家の家系図と子孫、
北白川道久氏の妻や子供、家族構成といったことを
整理してみます。
北白川宮家の創設者、北白川宮能久親王の家系図
北白川宮家は、
北白川宮能久親王に始まる家系です。
北白川宮能久親王は、
伏見宮邦家親王の9男で、
出家し青蓮院門跡、梶井門跡だったのですが、
還俗して、宮家を創設しています。
北白川宮能久親王の妻や子供、
家系図を整理してみましょう。
北白川宮能久親王(きたしらかわのみや・よしひさしんのう)
弘化4、伏見宮邦家親王九男
青蓮院門跡、梶井門跡
陸軍中将妻:光子
土佐高知藩十五代藩主、山内容堂の娘妻:富子
文久2、侯爵伊達宗徳二女、公爵島津久光養女男子:成久王(後継当主)
男子:恒久王
竹田宮家を創設男子:輝久
小松侯爵家を創設男子:芳之
明治22
二荒伯爵家を創設男子:正雄
明治23
上野伯爵家を創設女子:満子女王
明治18
伯爵甘露寺受長と結婚女子:武子女王
明治23
子爵保科正昭と結婚
皇后女官長女子:貞子女王
明治20
伯爵有馬頼寧と結婚女子:拡子女王
明治28
前記二荒芳之養子、二荒芳徳と結婚
北白川宮家からは、
多くの宮家や華族家ができています。
竹田宮家、小松家、上野家、二荒(ふたら)家などです。
北白川宮成久王の家系図
そして
北白川宮能久親王の息子である
北白川宮成久王の家系図を見てみます。
北白川宮成久王 1887-1923
明治20、北白川能久親王王子
陸軍士官学校、陸軍大学校各卒
陸軍砲兵大佐妻:房子内親王
明治23、明治天皇七女男子:永久王(後継当主)
女子:美年子
明治44
女子学習院出身
子爵立花種勝と結婚女子:佐和子
大正2
女子学習院出身
子爵東園基文と結婚女子:多恵子
大正9
公爵徳川圀順二男、徳川圀禎と結婚
北白川宮家の2代目である、
北白川宮成久の妻は、
明治天皇の七女です。
明治天皇の子供や妻は何人?子孫や家系図?竹田恒泰氏は玄孫!?
北白川宮家は、
女系で明治天皇の子孫ということで、
現在の皇室とも、
非常に近い親戚関係になります。
北白川宮永久王の家系図
北白川宮成久の息子である、
北白川宮永久の家系図です。
北白川宮永久王 1910―1940
北白川宮成久王長男
陸軍士官学校、陸軍大学校卒
陸軍砲兵少佐
貴族院議員妻:祥子
大正5、男爵徳川義恕二女
東京女高師出身
宮内庁女官長男子:道久(後継当主)
女子:肇子
昭和14
公爵島津忠承長男、島津忠広と結婚※家系図は敬称略
北白川宮家の3代目で、
明治天皇の孫にあたる、
北白川宮永久王の家系図です。
北白川宮永久の妻の、
北白川祥子さんは、
宮内庁につとめ、女官長として、
皇室に仕えました。
北白川祥子さんの兄は、
やはり侍従長として皇室に仕えた、
徳川義寛さんでしたので、
北白川祥子さんは、
兄弟そろって、
宮内庁の要職にありました。
北白川道久氏は伊勢神宮宮司
北白川家の4代目の当主が、
北白川道久さんです。
はじめに
北白川道久さんの経歴を見ていきます。
北白川道久さんは、
1937年生まれ。
学習院大学政経学部を出て、東芝に勤務。
伊勢神宮の大宮司を務められました。
北白川道久氏の妻は、島津公爵家の娘さん
北白川道久さんの妻や子供について、
見ていきましょう。
北白川道久さんの妻は、
北白川慶子さんというお名前です。
北白川道久さんの妻は、
島津忠承公爵の三女です。
北白川道久氏の子供は娘が3人で、お妃候補だった
北白川道久さんの子供は、
娘さんが3人います。
北白川道久さんには、
息子はおらず、
北白川道久さんが2018年になくなったので、
旧北白川宮家の男系としての系統は
北白川道久さんの代で、途絶えたことになります。
北白川道久さんの娘は、
当時の浩宮さま(天皇陛下徳仁さま)のお妃候補として、
マスコミに取り上げられることが
多かったようです。
北白川道久氏の娘さん
北白川道久さんの娘さんは、
1967年生まれの
北白川尚子さん、
1969年生まれの
北白川宣子さん、
1972年生まれの
北白川明子さんで、
北白川道久さんのご長女である、
北白川尚子さんは、
堤直純さんの妻になられています。
というわけで、
旧皇族、
北白川宮家の家系図と子孫、
北白川道久氏の妻や子供、家族構成といったことを
整理してみました。