湯川秀樹の家系図と兄弟と妻、子供は?婿養子で実父は?家族構成!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 0
スポンサーリンク

geralt / Pixabay

湯川秀樹の家系図と兄弟!妻には婿養子入籍で子供は息子?父親と母親、家族構成や先祖は?

理論物理学者の
湯川秀樹。

日本人初のノーベル賞受賞者で、
物理学賞を受賞した、
天才物理学者です。

戦前から
京都帝国大学の原子力分野の研究といえば、
荒勝文策教授の研究室が有名ですが、

戦前から戦後にかけて。
大きな、
世界的な研究成果をあげました。

京大物理の中心的な人物である、
湯川秀樹は、
京都大学開校以来の天才ともいわれるほどです。

この記事では
湯川秀樹の父親と母親、兄弟と妻と子供といった、
家族構成や家系図、子孫に関する事柄を整理していきます。

スポンサーリンク

湯川秀樹の父親は地質学者で先祖は、和歌山田辺藩の儒学者

湯川秀樹の父親は、
小川琢治という名前です。

湯川秀樹の父親の、
小川琢治は、
東京帝国大学地質学科出身の地質学者で、
京都帝国大学の地質鉱物学科の初代主任教授になった方です。

湯川秀樹は、
父親も学者だったのでした。

湯川秀樹の父親の小川琢治は、
紀州田辺藩の儒学者、浅井篤(浅井南溟)の次男として生まれ
同じく紀州藩士だった、
小川家に婿養子で入った方でした。

湯川秀樹の父方の先祖は、
紀州田辺藩の儒学者の家系であり、
先祖代々の学者の家系なのです。

湯川秀樹の母親の祖父は、横浜正金銀行創立にかかわる

また、
湯川秀樹の母親の小川小雪ですが、
小川家の先祖も紀州藩士であることは
さきほど書いたとおりです。

湯川秀樹の母方の祖父の
小川駒橘は、明治時代の官僚、財界人であり、
1844年に生まれて、草創期の慶應義塾を出て、
文部省や内務省を経て、横浜正金銀行の創立にかかわった方です。

湯川秀樹の兄弟は学者ばかり

湯川秀樹の兄弟は、
それぞれ異分野で活躍した学者です。

湯川秀樹の兄弟について、
触れていきましょう。

湯川秀樹の兄弟を一覧にすると、

長男:小川芳樹 1902-1959  東大工学部冶金科卒 冶金学者、東大工学部教授
次男:貝塚茂樹 1904-1987 京大文学部史学科卒 中国史学者 京大人文研究所教授
三男:湯川秀樹 1907-1981 京大理学部物理学科卒 物理学者 京大理学部教授
四男:小川環樹 1910-1993 京大文学部卒 中国文学者 京大文学部教授
五男:小川滋樹 1913-194? 第三高校、大学法学部卒 太平洋戦争で戦没

湯川秀樹の兄弟は
全員が秀才であり、理系、文系問わず、
さまざまな領域で先進的な研究活動をしました。

湯川秀樹のように
兄弟のうちの3人が京大教授をつとめているケースは、
おそらくないのではないかと思われます。

湯川秀樹の実家、小川家の家系図

湯川秀樹の父親、
小川琢治を中心とした家系図です。

小川琢治 1870-1941
和歌山士族・浅井篤二男、先代・小川駒橘養子
京都帝大地質科卒、同大学院入学
理学博士
京都帝大名誉教授

妻:小川小雪
明治8、養父・駒橘長女

長男:小川芳樹(後述)
明治35
東京帝大冶金科卒
東大工学部教授

二男:小川茂樹
明治37
京都帝大史学科卒、同大学院修士課程修了
のちに、三重、貝塚栄之助の養子となり貝塚茂樹と名乗る

三男:小川秀樹
明治40
京都帝大物理科卒
理学博士
和歌山、湯川玄洋養子となり湯川秀樹と名乗る

四男:小川環樹
明治43
京大文学部卒
中国文学者
京大教授

五男:小川滋樹
大正2
法学士

長女:小川香代
明治28
古河電工逓信技術部長・小川一清と結婚

二女:小川妙子
明治32
京都帝大教授・武居高四郎と結婚

養妹:小川よね
明治16、小川駒橘女
鴻池銀行員、阪田八十郎と結婚

※家系図敬称略

湯川秀樹の親戚には、柿沢弘治や柿沢未途

湯川秀樹の実家、小川家の家系図からは
学者以外にもいろんな方が子孫や親戚にいます。

湯川秀樹の次兄、
貝塚茂樹の息子は、
東大経済学部教授だった貝塚啓明さん。

湯川秀樹の母親の妹は、
鴻池銀行勤務の阪田八十郎と結婚し、
阪田八十郎の孫は、元外務大臣の柿沢弘治さんと結婚。

柿沢弘治さんの息子は、国会議員の柿沢未途さんです。

湯川秀樹は妻の家系、湯川家に婿養子入籍

湯川秀樹が婿養子に入った湯川家は、
どういった家系なのでしょうか。

湯川秀樹が婿養子として入った、
湯川家の先祖も和歌山藩士の家系でした。

湯川秀樹の妻の父親にあたる
湯川玄洋は、
1867年に
和歌山県士族の阪部魯叟の三男に生まれ、その後、湯川玄碩の養子となっています。

湯川家も2代にわたって養子相続された家系でした。

湯川秀樹の養父、
湯川玄洋はドイツのベルリン大学で医学の勉強をして、
医者となり、大阪の胃腸病院の院長をしていました。

湯川秀樹の妻と子供、家系図は?

湯川秀樹の家系図で、
妻や子供について確認しましょう。

湯川秀樹 1907-1981
京都、小川琢治三男、和歌山、湯川玄洋養子
京都帝大物理科卒
理学博士
京大、大阪大名誉教授

妻:湯川スミ(湯川澄子) 1910-2006
養父・玄洋二女
大手前高等女学校本科卒

長男:湯川春洋
昭和8
大阪市立大国文科卒
近世演劇研究家

次男:湯川高秋
昭和9
講談社勤務

湯川秀樹の子供は2人で、
息子の
湯川春洋さんは、
平凡社に勤務したのちに、近世演劇研究をされています。

というわけで、
湯川秀樹の父親と母親、兄弟と妻と子供といった、
家族構成や家系図、子孫に関する事柄を整理しました。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする