艦隊派と条約派は海軍省本省と海軍軍令部との対立?その意味と違い、代表的軍人は?
戦前の日本海軍は決して一枚岩というわけではなく、
派閥がありました。
明治期の海軍といえば、
藩閥勢力が強く、
海軍でいえば特に薩摩藩を中心とした勢力が強かった、
というのは有名ですが、
この記事では、
昭和初期から戦中期の
海軍内の派閥についてみていきます。
昭和初期の艦隊派と条約派
昭和初期の海軍にあった派閥は
大きくふたつに分けられます。
艦隊派と条約派です。
艦隊派の意味や定義をみていくと、
一言でいえば、
海軍の実力を大きくしめしていく立場と言えるでしょうか。
一方、
条約派の意味や定義を見ていくと、
政治との関係のなかで折り合いをつけていく立場と言えるでしょうね。
艦隊派のほうが条約派よりも
好戦的で積極的な印象です。
艦隊派と条約派が衝突した、ロンドン海軍軍縮条約とは?
艦隊派と条約派の二つの派閥の対立が
際立ったのは
ロンドン海軍軍縮条約をめぐってでした。
ロンドン海軍軍縮条約は、
浜口雄幸内閣のときにすすめられたものでした。
ロンドン海軍軍縮条約は、
各国の軍事力の制限を目的としていたもので、
それぞれの国の国防費削減の効果があったわけです。
これを、
海軍の立場でみますと、
海軍予算の削減と、軍人のリストラ、勢力の衰退といったものを意味するわけです。
当然、
ロンドン海軍軍縮条約に反対する勢力は、
海軍内に多かったわけです。
艦隊派の代表的な軍人たち
艦隊派の代表的な軍人は、
海軍大将の伏見宮博恭王、山本英輔大将、加藤寛治大将、高橋三吉大将といった方々です。
艦隊派は
東郷平八郎の威光を利用し、自分たちの考えの正当性を主張しました。
条約派の代表的軍人たち
一方、
条約派の代表的な軍人は、
財部彪大将や谷口尚真大将、山梨勝之進大将らです。
艦隊派と条約派の対立構造は、
実は海軍省本省と、軍令部の対立構造でした。
海軍省は、内閣に直属する組織であり、軍政と人事の権限を持っています。
軍令部は、天皇に直属する組織であり、作戦や指揮系統の権限を持っています。
このような対立構造が、
艦隊派と条約派のあいだにはあったのでした。