今田耕司の祖父母の結婚とファミリーヒストリー
今回は、NHK総合テレビ『ファミリーヒストリー』の司会を務める今田耕司さんのファミリーヒストリーです。
以前も、ファミリーヒストリーでは、今田耕司さんの父親の家系を調べていましたが、今回は母親、三好家の家系を取り上げていました。
今田耕司さんの母親の家系
番組では、今田耕司さんの母方の祖父、三好正文さんに焦点があてられていました。
三好家は宮崎県児湯郡高鍋町で茶屋を営んでいたといいます。
三好正文さんは、大正12年(1923年)、27歳のときに、パラオに渡り南洋庁に勤務します。
パラオ・南洋庁について
パラオは、第一次世界大戦によって、ドイツから接収した植民地です。
南洋庁は、パラオの行政機関でした。
番組では、正文さんの書いた履歴書が遺品から見つかったということで、経歴を紹介していました。
終戦間際には、郵便局長にまで出世しています。
27歳で南洋庁職員となり、郵便局長にまで出世しているので、かなりのものだと思われます。
三好正文さんの肖像写真は、白い海軍のような制服を着ていましたが、これが南洋庁の制服です。
私の調べによれば、正文さんは南洋庁マラカル郵便局長となり、判任官となっています。
判任官とは、戦前の官僚の階級の一つです。
いわゆるキャリア官僚ではありませんが、「判任官」で郵便局長ともなれば、多くの部下がいたはずです。
パラオでの生活ぶりはかなり良かったものと思われます。
戦前の公務員であれば、きちんと記録が残っているので履歴を調べることが可能です。
鹿児島での、結婚にまつわるファミリーヒストリー
三好正文さんは、鹿児島出身のフサさんと見合い結婚します。
フサさんとは、職場の上司の縁で縁談が調い、結婚式で初めて顔を合わせたといいます。
現在では、あまり考えられませんが、当時は結婚式で初めて顔を合わすなんてことは、しょっちゅうありました。
親同士が結婚相手を決めてしまうので、本人たちの意思に関係なく、話が進んでしまうのです。
養女に迎えられた今田耕司の母親
正文さん・フサさん夫妻は、子どもに恵まれなかったので、フサさんの兄夫婦から養女をもらいました。
この養女が、のちに今田耕司の母となる良子さんです。
良子さんは可愛がられて、お正月や小学校入学など、人生の節目ごとに写真館で写真を撮ってもらったといいます。
参照記事
古い写真から先祖を調べる方法
太平洋戦争でパラオは戦火に包まれる
しかし、幸せそうな生活も、戦争によって中断されることとなります。
太平洋戦争が激しくなった昭和19年(1944)4月になると、パラオにいる日本人に帰還命令が発令されます。
正文さんだけを残し、妻と子どもだけが貨物船に乗って帰還することになります。
本来、乗るはずだった船に乗れなかったというトラブルによって、命拾いすることになります。
実は、帰還途中、米軍からの魚雷攻撃によって、本来乗るはずだった船は撃沈されてしまったのです。
そちらの船に乗っていたら、今田耕司さんはいなかったでしょう。
軍属となった今田耕司の祖父
一方、パラオに残った祖父・三好正文さんは軍属になります。
当時48歳ですから、兵役には引っかからない年齢ですが、徴用されたわけです。
米軍が上陸した際には、山中に避難しました。
大変な目に遭われたのだと想像いたします。
それでも無事に、戦後帰還できたのは良かったです。
関連リンク
軍属だった先祖の家系図作成調査
今回のファミリーヒストリーの感想
今回のファミリーヒストリーも劇的でした。
調査については、関係者の聞き取り調査を主体としたものでしょう。
個人的には、もっと三好正文さんに焦点を絞ってほしかったです。
当時、27歳で南洋庁職員となり、郵便局長にまで昇り詰めたのはすごいです。
今田耕司さんについては、父方の家系もファミリーヒストリーで取り上げられているので、そちらも合わせて見ると面白いですね。
今後も今田耕司さんが司会を務める『ファミリーヒストリー』を毎週楽しみにしたいと思います。