僧侶の地位と、寺請制度
江戸時代の僧侶という身分について触れてみたいと思います。
江戸時代の僧侶は、宗教家というよりも村役人のような役回りをしていました。
江戸時代は、寺請制度(てらうけせいど)というものがありました。
寺請制度とは、寺を通じた、民衆を支配するシステムのことです。
江戸幕府はキリスト教を禁教としたので、民衆はどこかの寺の檀家となることを義務付けられました。
当時は、信教の自由といったものはなかったのです。
宗門人別改帳の作成にかかわる
また、寺はこうした宗教的な機能のほかに、幕府の支配機構の末端としての機能も果たしました。
宗門人別改帳という資料の作成には、僧侶がかかわっておりました。
宗門人別改帳は、江戸時代の戸籍のようなものです。
宗門人別改帳は、毎年調査・申告によって作成されました。
また、寺は、村人が結婚や奉公などで他の土地に移動する場合には、移動するものの年齢・性別・所属・宗旨などを書面に記載して、移動先の新たな寺に送付しました。
現在の行政手続きのようなものですが、江戸幕府はこのようにして民衆を管理・統制したのです。
江戸時代の寺は、このような機能を果たしていたので、一つの村に一つの寺が必ず配置されていたのです。
江戸時代初期に創建された寺が多いのは、そのためです。
幕府の支配上の都合によって、寺が創建されたのでした。
僧侶の仕事と生活
こうした制度のもとで、江戸時代の僧侶は、幕府の役人のような仕事をしていたのでした。
僧侶は、一定の収入が保証されておりましたので、神主のように兼職するということはありません。
また、江戸時代以前の僧侶は苗字を名乗りません。
その理由は、世俗のものではないからという理由です。
江戸時代の農民や職人・商人が苗字を名乗らなかったのとは、別の理由なのです。
僧侶の身分は高く、武士と同等の扱いを受けました。
僧侶と妻帯
江戸時代の僧侶は、特定の宗派をのぞいて妻帯しません。
したがって、子どもを持たないので、寺は世襲されませんでした。
つまり、僧侶の親は、僧侶ではないのです。
これは家系図を作成している、先祖を調べているといった方には、とても重要なことだと思います。
先祖に僧侶がいた場合には、その親は僧侶ではないということを、理解しておいてください。