弁護士だった先祖の家系図作成調査

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tpsdave / Pixabay

戦前の弁護士という職業

弁護士という職業は、明治時代になって西洋から取り入れられたものです。
明治5年(1872年)に弁護士制度は導入されました。
当初は、弁護士のことを、代言人(だいげんにん)という名称で呼んでいました。
明治26年(1893年)より弁護士という名称に代わります。

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明治時代の弁護士試験について

弁護士になるには、弁護士試験に合格しなければなりませんでした。
戦前におこなわれた弁護士試験は、かなりの難関でした。

弁護士試験を突破するために、法律学校に通い勉強しました。
この時代に創設された法律学校は、現在の東京にある私立大学の前身になっているものが多数あります。

裁判官・検事とは別に選抜された

現在は、「司法試験」として、裁判官や検察官も弁護士も、同一の試験に合格することで、法曹の資格を得られますが、当時は、裁判官と検察官の任用は、弁護士とは別の試験によっておこなわれていました。
「判事検事登用試験」というものが、それにあたります。

また、帝大法学部の出身者には無試験で弁護士資格を与えられていました。
こうした帝大出身者の特権についての批判が強まって、法曹の採用試験は、改革されていくことになります。

高等文官試験司法科に統一

長らく、「弁護士試験」と「判事検事登用試験」によって、分けられていた法曹の採用試験は、大正12年(1923年)より「高等文官試験司法科」に一元化されます。
これが、戦後の司法試験の前身となるものです。

都市部にしか弁護士はいない

戦前の弁護士という職業は、それほど庶民には馴染みのないものだったと思います。
農村地帯において、弁護士という仕事は、ほとんど成り立たなかった時代です。
医者や、一般の会社ですら、農村にはありませんでした。
したがって、弁護士は例外なく、都市部に住んでいました。

帝大出身者と私大出身者

戦前に弁護士となられた方には、大きく分けて二つのタイプがいました。
一つは、帝大法科出身者
もう一つは、中大法科、日大法科などの私立の法科出身者です。

帝大出身者は、お金持ちの家庭に生まれた方が多いです。
当時、帝大に進むには、親の経済状況が大きく影響を持った時代でした。
なかには、苦学して帝大に学んだ方もいましたが、こうしたケースは少ないです。

一方、私立の法科出身者は、経済的な理由で帝大への進学が叶わなかった方が多いです。
どちらにしても、大変な秀才であったことは、言うまでもありません。

弁護士だった、お祖父さんを調べよう

みなさんのお祖父様や曽祖父様が、弁護士でいらしたというのならば、どういったものにあたれば、ご先祖の足取りを調べられるのでしょうか?

弁護士であれば、国家資格保有者ですから、しかるべき資料に必ず、お名前が見られます。
また、学校の同窓会名簿のようなものを参考に、経歴を追っていくこともできます。

あるいは、何か重大な事件に絡む裁判に立ち会っていたら、裁判の記録なども参考になるのではないでしょうか。

戦前のご先祖が、弁護士をされていたということであれば、確実に何か記録が残っていると思われますので、是非、先祖のことをお調べすることをお勧め致します。

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