江戸時代の農民の地主・自作農・小作農の農地保有面積は?
農民といっても、いろんな農民がいます。
どういった農民だったのか、どのような暮らし向きだったのか、
といったことについて、
理解を深めていきましょう。
江戸時代の村落の農民たちは、
大きく分けると3つの階層に分かれます。
地主
自作農
小作農
それぞれ、どのような身分だったのかを、
詳しく見ていきたいと思います。
江戸時代の農民の上流層は、地主
地主は、自分で耕作する土地を所有しているほかに、
小作人に土地を貸している農民です。
村の有力者であり、
庄屋(名主)や組頭(年寄)、百姓代といった、村の要職を占めました。
地主層は、明治以降も村の有力者だったケースが多く、
村長や村会議員などをつとめ、村政への影響力を保ちました。
自作農と小作農と、その割合は?
自作農は、自分で土地を保有し、
その土地を耕作している農民です。
そして、小作農は、自分で土地を保有せずに、
土地を貸してもらって、その土地を耕作している農民です。
地域によって多少ばらつきがありますが、
それぞれの割合は、
地主が20%、自作農と小作農が約40%ずつ、と言われています。
時代を経るごとに、村落内の経済格差が広がり、
小作農の割合が増えていったそうですが、
戦後の農地解放により、小作農にも土地が分け与えられ自作化しました。
江戸時代の農民の、農地の平均保有面積は?
それでは、
江戸時代の農民は、
どれくらいの土地を保有、耕作していたのかを見ていきましょう。
現在では農地の面積をはかる単位として、
ヘクタールや
平方メートルといった単位が用いられることが多いですが、
江戸時代や明治から戦前までは、
町(ちょう)や反(たん)という単位が用いられていました。
1町は、3000坪で、1反は、300坪に相当します。
江戸時代の農民たちは
どれくらいの農地を保有し、耕作していたのでしょうか。
江戸時代の農民は、平均1町の農地を保有
一般的な農民の土地保有面積は、1町くらいが平均だったようです。
だいたい自作農の平均保有面積と、考えていただければ良いかと思います。
1町もの農地を耕作するのは、
現代のように農業機械がない時代ですから、
なかなか大変だったことと思います。
もちろん、
同じ1町の農地を保有しているといっても、
農地によって、よく作物がとれる土地と、そうでない土地があります。
つまり、同じ1町の農地を保有する農民であっても、まったく同じ境遇なわけではなかったのです。
しかし、
農民の土地保有面積と経済的立場は、
大まかに見ると正比例していると言えました。
10町や5町保有の大地主の割合は?
10町以上の農地を保有する大地主は、農民全体の1パーセントもいません。
5町保有で上位5%、3町保有で上位10%くらいだと言われています。
庄屋や名主をつとめる家は、たいてい3町くらいの地主であり、村のなかでは最も裕福な農民でした。
一方、自作農であっても5反くらいの土地しか持たない農民も多数おり、江戸時代の村落には、いろんな立場の農民がいたのでした。