士農工商の教科書の順番は嘘?江戸時代の身分制度の序列とは?
士農工商というのは、
江戸時代の身分制度として、
以前は日本史の教科書に必ず出ていた言葉です。
この言葉の意味は、
武士、農民、工人(職人)、商人といった順番に
身分の序列がある、といったことです。
しかし
近年よくいわれるようになった説は、
士農工商という言葉は、
「たくさんの職業がある」
といった事実を示す言葉であって、
決して、
江戸時代の身分の序列を示した言葉ではない、
といったことです。
果たしてこうした説は正しいのでしょうか?
士農工商の序列の実際は?
まず本当に
江戸時代に身分の序列がなかったのか、
というとそうではありません。
将軍を頂点とする武士が、
国全体を支配していたのは事実ですし、
農民や職人、商人などの庶民は、
武士の支配を受けていたわけです。
ただし、
農民と、職人、商人のあいだに、
どれくらいの身分格差があったのかというのは、
あまり明瞭に語られていないことが多いです。
士農工商という言葉で、
身分序列を示すと、
武士>農民>職人>商人ということになります。
しかし実際には、
武士>農民≧職人=商人といった具合だったようです。
士農工商の身分制度は、たしかに存在した
江戸時代の士農工商の身分序列は、
たしかにあったようですが、
農民と職人、商人のあいだの序列は、
あまり明確ではないものの、
職人・商人のが、農民よりも上、
ということはないようです。
藩によっては、
農民の方が職人や商人よりも身分が上だと、
明確化されている地域もありました。
しかし、その逆はありません。
そういった意味では、
身分制度としての士農工商というのは
たしかに存在したのです。
公家、僧侶、神主、医者は、武士と同格の身分
また、
武士とは異なる支配階層として、
公家や僧侶や神主、医者といった身分もありました。
これらの身分は、
公家>僧侶>神主>医者という順番になります。
公家は大名と同格くらいの高貴な身分です。
僧侶と神主はセットで考えられることが多いですが、
寺請制度があり、神仏習合の時代だった江戸時代は、
僧侶の地位は、神主よりも上位にあります。
医者は、
藩にかかえられるものは武士身分ですが、
村医者や町医者といって、
村落に住むものもいて、
こうした医者は藩医よりも格下と見られていました。
総じて
公家、僧侶、神主、医者といった身分は、
武士と同程度の身分として考えてよいでしょう。
士農工商の身分と、経済的立場は異なるもの
ただし、
身分の高低と、
経済的立場は必ずしも一致するものではありませんでした。
生活レベルでは、
商人>職人>武士>農民という見方もあります。
江戸時代の士農工商という身分序列は、
表向きのものでしかなかったのでした。