戦国時代の城について
「ウチの先祖は殿様だった」・「ウチの先祖は城主だった」といったような言い伝えのある家系もあります。
みなさんの家系にも、こういった話が伝わっているかもしれません。
家系図作成をしていると、意外にこうした話に出くわすことがあります。
とはいうものの、こうした言い伝えが残っていても、幕末の先祖が武士だったのかどうかも分からないといった事もあります。
実際こういったことを確かめるために、家系図作成をする方も多いのです。
多くの場合、こうした言い伝えはいくらか誤りを含んでいます。
しかし、まったくのデタラメということもないと思います。
現代人がイメージする「城」
実は幕末の先祖が農民であっても、先祖が城主だったということはあります。
現代人の感覚からすると、お城というと立派な天守閣のついた、大阪城とか名古屋城とか姫路城といった城を想像します。現在でも観光名所となっているようなところです。
しかし、こういった城はごく一部に過ぎません。
戦国時代にはたくさんの城があった
戦国時代には実にたくさんの城がありました。
戦国時代の城は地形を利用した、極めて実戦的な構造になっていました。
立派な天守閣はなく、「城」というよりも「屋敷」・「館」といったほうが、イメージに近いかもしれません。
こうした城は各地にあり、現在でも城跡となっています。こうした城跡を探訪するのを趣味にしている人たちもいます。
城主の子孫が帰農したケースもある
もちろん、こういった小規模の城の主のことも「城主」と言えますね。
こうした人たちの子孫には、帰農したものもいます。
戦国時代、めまぐるしく領主が変わっていくなかで、うまく立ち回れなかったものが、帰農するのは想像に難くないことです。
そして、その子孫に口伝として「ウチの先祖は殿様だった」・「ウチの先祖は城主だった」というようなものが残っているのです。
このような言い伝えが残っている場合には、頭ごなしに否定するのではなく、しっかりと調査してみる価値があると思います。
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